隣の『怪物』君

嫌悪感と、その先にある恐怖感。


14歳の言う「世間にも責任はある」へのマジレスを考える - maukitiの日記
昨日の日記の余談的なお話。

 さらに、梅田悟容疑者に対しては、「残念な気持ちばかりです。このような方を作ってしまった世間にも責任はあると思います。モンスターになる前に手を差し伸べていたら…」と綴っている。

AKB48市川愛美 容疑者に対して言及「モンスターになる前に手を差し伸べていたら…」 - リアルライブ

ともあれ、世間の責任があるとかないとかはともかくとして、実際彼を『モンスター』呼ばわりするに値するのかというとやっぱり違うかなぁと。いや、もしかしたら本当にそうかもしれませんけど、ただ人間社会に必ず一定数存在する所謂『モンスター』って、そもそも手を伸ばしてもどうにもならないからこそそれはまさに『モンスター』なわけで。
そんなどうしようもなく、故に大多数の普通の人間にとっては恐怖するしかない存在というのは、確かに居る。
悪魔のような人間。
反社会性パーソナリティ障害。
ソシオパス。
サイコパス
パソコン遠隔操作事件、その後の雑感: 極東ブログ
少し前の極東ブログさんちなんかではあの「ゆうちゃん」がそれに近いのではないかと述べられていて、確かにそうかもなぁと頷くところではあります。平然と自身の楽しみのためだけに多数の人を巻き込み、そして弁護士を騙してみせたゆうちゃん。ふつうのひとが罪悪感から躊躇するであろう行為を、あっさりやってのける人間というのは、多くの研究で証明されているように実際に存在する。


それはよくあるチンピラ的な人たちが反社会的な行為をするのとは一線を画しています。そうした彼らですら大抵の場合でそこに理由や大義名分――「相手がガンを飛ばしてきたから」や「肩をぶつけられたから」――を用意するのは、自身の罪悪感を緩和させる為のものでもあるんですよね。あるいは仲間内で集団行動をすることによって、その罪悪感を薄めたりもする。
ところが『ホンモノ』いうのは、そうした内心の罪悪感や後悔をいっさい感じないから大義名分も仲間も必要としない。善悪の彼岸の向こうに立ち、自己利益のみを追求しても内心には何ら痛痒を感じない人間であります。例えば相手を殴ってやりたい攻撃衝動というの多かれ少なかれほとんどの人間が持つものではありますが、愛すべき小市民であればそれは我慢するか別の形で発散するものであるし、チンピラであれば「(自分をムカつかせた)相手が悪い」ことにしてそれを発散する。
――じゃあホンモノのモンスターは? 
というと、例えば満員のホームで電車が来た際に、ただ自身の攻撃衝動を満足させるためだけに、そっと背中を押したりする。それは突発的な行動ではなく(実際にバレるかどうかは別として)むしろこの人混みならバレないだろう、という計算の下にそうする。相手に憎悪や恨みすらなくただそこに居たというだけで目標にする。重要なのは自身の感情が満足するかという一点だけで、その為ならばどんなことだってやる。
彼らは常識や良識を知らない無知からそうするのではないのです。ただそれを本気でどうでもよく考慮する必要がないと思っているだけ。知らないからそうするのではない、というあまりにもあんまりな現実に平凡な私たちは恐怖するしかない。


そうした人間にはもう「世間が手を差し伸べる」とかそういうレベルのお話ですらないんですよね。だからホンモノのモンスターの扱いというのは、人間社会において更にとーっても難しいセンシティブなお話ではあるんです。今回のノコギリを振り回した彼が実際にそうなのかはともかくとして、しかし人間社会には「必ず」そのような手段の是非などまったく気にしないモンスターは一定数存在する。
もちろん幸いなことにそれは極極一部の存在でしかないし、必ずしもそのようなモンスターな人間が興味を持つのは一般にいう反社会的行為だけというわけでもない。ついでにいうと別にサイコパスであることと、本人の頭の良さとは無関係なので、バカであれば法によってあっさりとそれは排除されていく。逆にそれが法の網をかいくぐり社会にとけ込み生き残っているということは、その個人の優秀さが際だっていることの証明でもありますが。


さて、私たちの愛するリベラルな社会はそうしたモンスターな人間をどのように扱えばいいんでしょうね?