14歳の言う「世間にも責任はある」へのマジレスを考える

介入かプライバシーか。


AKB48市川愛美 容疑者に対して言及「モンスターになる前に手を差し伸べていたら…」 - リアルライブ
ということで先日書いた日記の僅か数時間後に事件が起きてなんだか微妙な気持ちになってしまったAKBノコギリ事件であります。
「モンスターを野放しにした世間も悪かった」まぁ愉快なことを書いてるなぁとは思いますけども、(おそらく校正を受けているとはいえ)でもまぁ14歳ならこんなものかもしれないよね。14歳といえば汎用人型決戦兵器の中で「動け動け動け動け」とかガチャガチャやってるお年頃だし。実際僕自身が14歳の頃といえばもっとバカなこと書いてたと思うし。……インターネットなくて良かった。
ともあれ、でもそれだけじゃ寂しいので以下適当なお話。

 さらに、梅田悟容疑者に対しては、「残念な気持ちばかりです。このような方を作ってしまった世間にも責任はあると思います。モンスターになる前に手を差し伸べていたら…」と綴っている。

AKB48市川愛美 容疑者に対して言及「モンスターになる前に手を差し伸べていたら…」 - リアルライブ

容疑者の周囲にある地域社会=世間がそんな「個人的な悩み」を知らなかったからこうなったのだ、というのにはそれなりに一理あるお話でしょう。誰かがこんなバカげた凶行に走る前に彼を止めていれば、と。隣ご近所の事情を誰もが知る所謂「暖かい隣ご近所」のようなものさえあえば、なんて。
――でも、だからといって21世紀日本に生きる私たちが、必ずしもそうした密接な地域コミュニティを望んでいるのかというと、やっぱりそんなことないわけですよね。それは暖かいと同時に監視社会でもあるのだから。
閉鎖性や談合や身内びいきなど、それは決して良い面だけではない。個人主義の価値観に生きる私たちは、そんなプライバシーのない密接な関係性を求められる地域社会にうんざりして勘弁してくれとも思っている。そんな「隣人の暖かさ」が持ち上げられる一方で、同時に「田舎社会の闇」というのは結構普遍的なネタでもあるので当たり前のお話ではありますよね。
どちらの意見が正しいか――おそらく彼女は「暖かい」方を望むのでしょう――はともかくとして、やっぱり『東京砂漠』はなるべくして砂漠になってもいるのです。


ただどちらにしてもそうした密接な関係性をもつ地域コミュニティ=世間が衰退したのはそんな嗜好の問題であると同時に、実は根本的に『規模』の問題でもあるわけで。
つまり、それがお互い顔を知っている数十人規模の村やマンションの自治会程度だったらまだいい。でもそれが数百人、数千人、数万人の大きな規模ではそんな密接な関係性を持つコミュニティやネットワークというのは維持できないのです。あまりにも人が多すぎて相手が隣近所の知り合いかどうかすら解らない。構成員が多すぎて誰がどれだけ信頼できる隣人か解らない以上、個人情報の共有にも共通規範の徹底も不可能となる。かくして私たちは人類社会の巨大化の過程で、その代替として、ある種のヒエラルキーによる監視と管理システムを構築していったのです。
故に現代社会――特に都市生活を送る私たちはその狭い地域社会によるネットワークの維持を諦め、(抑制された)行政によって個人情報を一元的に管理している。


さて、最初の14歳の彼女の話に戻して。

 さらに、梅田悟容疑者に対しては、「残念な気持ちばかりです。このような方を作ってしまった世間にも責任はあると思います。モンスターになる前に手を差し伸べていたら…」と綴っている。

AKB48市川愛美 容疑者に対して言及「モンスターになる前に手を差し伸べていたら…」 - リアルライブ

結局、ここで言うところの「モンスターになる前に手を差し伸べていたら…」を実現しようとした場合、現実的にはその手法は二択でしかない。

  • 個人情報を狭い地域社会に「もっと」流通させるか?
  • 行政からの個人生活への介入を「もっと」許すか?

まぁ好きな方を選べばいいんじゃないかな。
ちなみに現状というとその「中間」であり「せめぎあい」であります。そのプライバシー保護と個人生活への介入の程度の度合いこそが現代民主主義社会に『市民』として生きる私たちが(選挙などを通じて)ミクロな社会問題として真面目に議論すべきもっとも重要なテーマの一つでもあるのです。


……そうはいってもわが身を振り返ると私たちはあんまり真面目に考えているとはいえないよね。
その意味では私たち大人はこの14歳の彼女にごめんなさいしないといけないかもしれない。