世論に従え、やり過ぎず自制しろ、でも「世界を救え」

人間の能力の限界を越えている、といっては身も蓋もありませんけど。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40975
国内では議会――共和党だけでなく政策によっては身内の民主党からも反発され、国外では同時多発的に挑戦を受けるオバマさんの苦境についての評論。

 理屈の上では、米国の最高司令官たる大統領は世界で最も強い力を持っている。しかし実際は、大統領が何かを変える力は弱まりつつあり、その一方で大統領が責任を取る能力には制限が設けられていない。もう一度言おう。こんな仕事に就きたいと考えるまともな人が、果たしてこの世に存在するのだろうか?

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40975

でもまぁ解らないお話ではありませんよね。唯一の超大国であるアメリカ大統領が当選した瞬間から要求される義務。誰もが「あなたは世界でもっとも大きな力を持つ人間だ」と言い、その後には「だからこれをどうにかするのが当然でしょう」という言葉が続くことになる。もちろんそうした能力があることは間違いないわけだけれど、じゃあそれを実行できるだけのフリーハンドが米国大統領にあるのかというと、そんなこと絶対にない。



そもそも論として、米国大統領は民主主義国家の政治指導者に一般的にあるように、まぁごく当たり前にその権限の大部分は均衡され監視下に置かれているわけであります。
――どころか、むしろマディソン流の合衆国憲法による(独裁者を生むことを防ぐ為の)厳密な権力分離・監視・抑制均衡の要素というのは、アメリカという国では一層強い制約に置いていたりする。日本なんかでも「決められない政治」が嘆かれていたりもしますけど、あちらの連邦制度というのはそもそも「効率的」な政府を目指してすらいないんですよね。
その意味で言えば、議会に対して解散権という奥の手を持つ日本やイギリス*1の首相たちの方が相対的には大きな力を持っていると言えなくもない。
ともあれ、故に米国大統領が持つ権限というのは、ほとんどいつの時代も「自分のしたいこと」を大統領の命令だからと強制させるのではなく、むしろ説得によって相手を促すことが第一となるのです。つまり、米国大統領の政治家としての能力の有無を決めるのは、その説得工作の上手さである。大統領自身の個人的なカリスマ性による説得だったり、政権人事を通じての閣僚からの説得力だったり、あるいは身も蓋もなく政治的取引だったり。


おそらく、当初のオバマさんにそのような説得力=カリスマ性があったというのは事実でしょう。オバマさんは何でも口を出すやり方というのは、まだ改革者として信頼性がある当初は上手くいっていた。でも、その自身が持つ輝き=人気が失われるようになると、必然の結果として彼の大統領としての政治的指導力も決定的に陰るようになってしまった。
ちなみにしばしば比較例と出される子ブッシュさんの場合は、むしろ部下に多くを委任するタイプであり、当初から低迷しまくっていた大統領自身の人気がどうであろうと機能するのでそれはそれで上手くもいっていたのです。ところが結果として彼自身のそんな放任主義・無関心さは、部下たちが暴走や手抜きをし始めると途端に迷走したのでした。




そんな意図した形での権力の自縄自縛にありながら、やっぱり「世界を救え」と要求される彼ら米国大統領の苦境は、まぁ端から見ていてもあまり楽しそうには見えませんよね。第一次大戦の時代から続く伝統ではありますけど。もちろん彼らには多くの特典が与えられるわけだけれども、それと引き替えに手放す自由も少なくないし、またその責務と利益が見合っているとも思えない。
良くも悪くも世論がなければ動けない彼ら。イラク戦争という愚行も世論の支持がそれなりにあったのだし、かといって現在のオバマさんのやる気のなさというのも世論がそれなりに支持していたりもする。その一方で、ブッシュさんのようにやり過ぎては批判され、かといって今のようになにもしなければしないで批判されるっていう。
いやぁ米国大統領も楽じゃないよね。

*1:それを敢えて封じたために現在の英連立政権では機能不全に陥りつつあるなんて言われていたりする。