○○を見たら犯罪者と思え

○○にはお好きな属性をお入れください。そしてその上で、仮にそれが統計的に証明された場合、そう振る舞うのは許されるのか?



漫画家・倉田真由美氏、倉敷の女児誘拐事件で「小さい女の子と成人男性の組み合わせには注視した方がいい」と発言 - ライブドアニュース
ふーん。まぁ多少の個人的自由を失ってもいいから、秩序の為に監視社会にするべきだ、というのはそれなりに人気のある論理ではあるので、まぁそのイデオロギーの亜種として主張するのはいいんじゃないでしょうか。少なくとも――例えば「大きな政府」論に反対しないとか――論理一貫しているのならば。

倉田氏は「時には声かけをする、『もしもしどうかしましたか?』って。お父さんだということだったら、『失礼しました』っていうだけの話ですから」とし、「私たちは機械とは違って選別できるじゃないですか。小さい女の子と成人男性という組み合わせは、ちょっと通り過ぎるだけじゃ済まないようにしましょう」と視聴者に呼びかけた。

漫画家・倉田真由美氏、倉敷の女児誘拐事件で「小さい女の子と成人男性の組み合わせには注視した方がいい」と発言 - ライブドアニュース

ただまぁ、昔から犯罪研究なんかでよく言われているように、ぶっちゃけ「子供への犯罪(ついでに女性へのそれも)」という視点で見れば男性の『顔見知り』による犯行が圧倒的に多いわけですよね。親や親類、あるいは知人や友人といった男性こそが第一容疑者たりえる。
――今回の件のような、まったく無関係の真性の変態による犯行の方がずっと少ないわけですよ。
その意味で言うと、もし怪しい子連れを見かけた場合「もしもし大丈夫ですか?」と聞いてそこで「親ですが何か?」と逆ギレ気味に答えられたら安心するべきではまったくなくて、むしろより真摯に子供を守りたい犯罪を減らしたいと思うのならばそれこそ親だろうが知人だろうが「念のため通報しておきますね」という結論になってしまうんですよねぇ。
犯罪者を減らしたいのか、変質者を減らしたいのか。
まぁデータとして証明された顔見知りによる多数派の犯行よりも、恐怖感からくる少数派である他人による犯行の方がずっと恐ろしいというのならば好きにしたらいいんじゃないかな。確かに自分が安心することと、実際に犯罪を減らすことは別なわけだし。犯罪を減らすよりも自身の感情を満足させたい。個人的にはアホらしいなぁと思いますけど、まあそういうやり方もそれなりに支持されるでしょうし。



PCの域に留めておいた移民議論が本来の姿を取り戻していく - maukitiの日記
ちなみに、昨日の日記に関連して、こうした個人の性質に依らない属性による区別(『差別』ではなく敢えて『区別』って言っておく)は、例えば「黒人の子連れを見かけたら怪しいから声をかけよう」「ラティーノの〜」「トルコ人の〜」「中国人の〜」「イスラム教の〜」「ユダヤ教の〜」とやると確実に『PC=政治的公正さ』的に大炎上することになるんですけども、この方はその辺のことを一体どう考えているんでしょうね?
宗教や人種や国籍や職業で判断しても「失礼しました」で済むんですかね?


もし本気でそう考えているのならば、まぁ豪気な方だなぁと逆に感心してしまいますけど。