異床同夢の果てにあった融解する国家たち

俺たちの明日はどちらだ。


カタルーニャ独立投票、賛成派が9割で「勝利」 写真8枚 国際ニュース:AFPBB News
イラクのクルド独立、93%が賛成 住民投票の結果発表 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News
クルドカタルーニャと独立賛成が圧倒的だったそうで。といってもこれまでの流れを追っていれば、どちらも不思議でもなんでもなく、そりゃそうなるよね感。対『IS』戦争でクルドを主力に選んだ時点で、EUの統合を推進し既存国家機能を徐々に弱めていく時点で、どちらもこうなることは誰もが予想していた本命の展開ですらあります。
しかし、この絶対とも言える数字を見ると、これまで中央政府がそうした独立心を抑圧してきた反動によって更に激化しているという感じはあって、むしろイギリスのように先手を打って敢えて投票を認めてしまうことでギリギリで回避したのって実はすごいんじゃないかと今更ながらに思ってしまう所ではあります。2011年当時は独立投票認めちゃうとか、キャメロンはなんてバカなんだ、とか思ってました。
でもその後の展開――抑えつけ過ぎると独立心が更に盛り上がる&一度やっただろうと当面の間は投票を正当に拒否できる――を見るとかなりの慧眼だったんじゃないかって思い直している昨今です。さすが植民地支配には一家言持つ、伝統と格式あるブリカスは伊達じゃないぜ。同じように思っていた人は謝った方がいいよね。キャメロンごめんね。
当事者は別としても、どう考えても「周囲」が望まない民族自決の正当性、あるいは憲法等と比較して独立投票の正当性とはどのくらいの力を持つのか? そしてそれを阻止することの正当性は? などなど議論・日記ネタとしても色々と考えさせられるお話ですよね。
みなさんはいかがお考えでしょうか?





さて置き、今日の本題。
このクルドとスペインの独立投票の結果って、そこに至る道はほぼ正反対のルートを辿りながらも、どちらも同じ結果に行き着いている。このルートが違いながらも結末の類似性ってとっても面白いなって思うんですよね。

 これに先立ち、カルレス・プチデモン(Carles Puigdemont)州首相は1日、「数百万人」が投票したと述べ、同州が「独立国家となる権利を得た」と宣言した。

 一方、スペインのマリアノ・ラホイ(Mariano Rajoy)首相は「きょう、カタルーニャ住民投票なるものは行われなかった」と述べ、住民投票は阻止されたとの認識を示した。

 住民投票中央政府の反対や裁判所による違憲判断を無視して強行された。地元当局によると、機動隊との衝突などにより844人が治療を要したといい、これまでにうち少なくとも92人の負傷が確認されている。(c)AFP

カタルーニャ独立投票、賛成派が9割で「勝利」 写真8枚 国際ニュース:AFPBB News

クルド自治政府マスード・バルザニ(Massud Barzani)議長は、投票結果を受けてすぐに独立を宣言するわけではなく、交渉の道が開かれるべきだと表明していた。しかしイラクのハイダル・アバディ(Haider al-Abadi)首相は27日、議員らに対し、この投票結果に基づいて交渉を行うことなど論外だとはねつけた。

 住民投票は国連(UN)や米国も含む多方面からの反対を受けていたが、悲願の国家設立を目指すクルド人はそれを無視する形で投票を強行。クルド人は各国が支援するイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」掃討作戦に協力する主要勢力であり、住民投票によって情勢が混乱し、軍事対立に発展する可能性も懸念されている。(c)AFP/Abdel Hamid Zebari

イラクのクルド独立、93%が賛成 住民投票の結果発表 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News

一方は国家の無秩序の果てに(限定的な秩序構築に成功した地方から)独立賛成の環境が生まれ、そしてもう一方では、国家の枠組みを超えた秩序構築に半ば成功した故に国家領域内での統合ベクトルが失われた帰結としてそれが生まれている。
周辺から秩序が無くなったからこそ冒険的独立心が強まり、周辺から秩序が固まっているからこそ冒険的独立心が高まっている。
一見真逆に進んでいるように見えて、どちらも同じ「地方の独立」ところに着地している構図。以前からちょくちょく書いてきたお話ではありますが、それこそ『IS』のような過激派たちが目指す既存国家秩序の破壊と、リベラルな人たちが目指す既存国家権力の弱体化って、結局どちらも同じ未来を夢見ていたことになる。


――(悪魔のような)既存国家さえなくなれば!


横暴な国家こそが悪なんだもん的歴史観。確かに『国家』が世界の中心プレイヤーとなった19~20世紀の歴史を見ても、まったく間違っていると言うこともできない。国家の秩序さえ弱くなれば俺たちは救われるのだ。かくして彼らは異なる手段を採りながらも、しかし同じ夢を見る。


同床異夢ならぬ、異床同夢として。