21世紀の平和主義

もしこのまま脱国民国家な試みが失敗したら私たちが目指すべき平和は一体どうなっちゃうの〜〜〜〜????


メルケル独首相 長期政権を躓かせた難民政策 : 社説 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
社説:党首退くメルケル氏 EU束ねられる後継者を - 毎日新聞
メルケルさんの黄昏だそうで。最後の最後で欧州連合における絶対的教義でもあった国境開放が祟ったというのは、まぁなんというか皮肉なお話だよねえ。もしあの時難民に対して国境を閉ざすこと自体は簡単でも、しかしそもそもの欧州理念との整合性をどうすれば良かったのか等を考えると、難しい判断だったのだろうというのは理解できます。
良かれと思って平和を目指したはずがロクでもない結果を生んだというのは、まさにドイツあるあるではありますけども。

 メルケル氏の権威失墜と、長期政権の躓つまずきを招いた最大の要因は、難民政策である。

 15年に中東・アフリカから欧州に難民が大量流入した際、メルケル氏は人権理念を強調し、寛大な受け入れ策を推進した。治安悪化などを心配する国民の反発を呼び、「反難民」を掲げる新興右派政党の躍進につながった。

 イスラム教徒が多数を占める難民の受け入れは、文化的な摩擦を伴い、政治・社会問題化している。政権与党間でも、難民問題を巡る不協和音が絶えない。理想主義を掲げたメルケル氏の当初の見通しは甘かったのではないか。

メルケル独首相 長期政権を躓かせた難民政策 : 社説 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

概ね失敗したと言っていい国境開放について。しかし、現代では一部の平和主義者のイコンにもなっている某ジョンレノンの「国境を無くそう」のような考え方って、それでも概ね正論ではあったんですよ。
そもそも国民国家という性質は「自国とそれ以外」を明確に区別することが大前提となっていて、つまり『国境』についての厳正な管理はその根幹を担う国民国家の特質でもある。非効率的な帝国主義を捨てることにしたヨーロッパ諸国は、代わりに国民国家化を進めることで大きく飛躍することに成功した。
――ところが、そうした国民国家というシステムは、勢力均衡によって国際関係に地域に平和をもたらすということには結局失敗した。最初にそれを始めたヨーロッパでは、まず一度失敗した。挙句に二度目も失敗した。ぶっちゃけると世界全体を巻き込むレベルで、自国とそれ以外という分断をした国民国家は二度も大失敗=大戦争をした。
ついでにいうと「善意で(重要)」それを無理矢理に導入させた=国境を適切に画定させてあげた旧植民地であるアジアやアフリカでも失敗していて、現地の彼らはそのツケを今でも支払い続けている。


ならば国民国家の枠組みを超越した存在になるしかないじゃない! そう、EUならね。


戦後から徐々に始まり冷戦後には更に活発になった、国連とEUを先頭にした「既存国家を超えた」枠組みである多国間条約や機関の創設――ぶっちゃけると乱立ってこういう論理の下に勧められたわけですよね。
トランプさんのような人たちは反発しますけども、国民国家同士の平和構築が致命的に失敗する可能性がある以上、別の枠組みでそれを目指すしかないというのは正しいでしょう。日本でも某鳩山さんが東アジア共同体を言ってましたけども、まぁ確かにこうした背景において平和を目指す手法としては正論ではあったんですよ。
ヨーロッパでは成功見込みがあっても、ヨーロッパ以外の世界では、東アジアでは(日本の民意という意味でも、中韓の日本への意識という意味でも)まず実現しないという現実にさえ目をつぶれば確かに世界のトレンドだった。


以前にもシェンゲンが謳う国境の移動の自由こそがEU設立の根幹の価値観の一つであるというお話をしましたけども、上記戦後ヨーロッパが目指した「平和」のあり方を考えれば、そうなるのは当然の帰結なんですよね。だってそれこそが既存の(国境を基礎にした)国民国家を超えたことを証明する、名実共にハードルの一つでもあったから。
であるからこそ欧州連合とは、戦争に明け暮れた過去のヨーロッパとの決別でもあった。
別に『国境開放』という先進的で欧米的なリベラルな価値観が失敗すること自体はそこまで痛手ではないんですよ。しかしその試みの背景にあるのは、国境を開放することで国民国家の性質を弱め、そして国民国家というシステムが招く戦争とい避けがたい災厄を避けるという点でもあった。
つまり国境開放がかのような――それが致命的なのか些細なのかは諸説あるとしても――失敗を生み地域住民の反発を受けるということは……。


国境開放が失敗するということは脱国民国家の失敗であり、そして大戦以来目指してきた平和な国際関係構築の失敗でもある。
ということは我々は既にそうなりつつあるように、いつまでたっても進歩のないリアリズム「国家は永遠に闘争状態にあり、故に勢力均衡こそ我らが目指すべき永遠である」という古典的な国際関係現実主義へ舞い戻るしかないのか? 
そうでなければ国際関係リベラリズムはこの先何を目指すべきなのか?



憲法9条と世界唯一の被爆体験から「日本こそが平和世界の旗頭であるべきだ」という見ているこっちの方がちょっと恥ずかしくなってしまうような自分たちの優越性を誇示する過激なナショナリストな人たちは本邦には少なくありませんけども、ならばそんな私たちは脱国民国家的試みが失敗しそうな今、一体どのような『平和』についてのビジョン・グランドデザインを提示すればいいのでしょうね? 


もともと自分たちさえ平和であればいい一国平和主義な、日本の人はそこまで考えていないと思うよ。
……とか身も蓋もないこと真顔でツッコむのは禁句です。


みなさんはいかがお考えでしょうか?