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「コロナは痛快」への謝罪が意味するところは何か問題

「エリートな新聞記者様でもガラポン衝動があるなんて親近感沸くなあ」
「書いた人何も考えてないと思うよ」



朝日編集委員、新型コロナ「痛快な存在」 ツイッターに不適切投稿 - 産経ニュース
ということでまた新聞記者サマの面白愉快なお言葉があったそうで。

 広報の投稿によると、編集委員の投稿は13日。「(略)戦争でもないのに超大国の大統領が恐れ慄(おのの)く。新コロナウイルスは、ある意味で痛快な存在かもしれない」という内容だった。投稿後に本人がアカウントごと削除したという。

 広報は「『痛快』という表現は著しく不適切で、感染した方をはじめ多くの皆さまに不快な思いをさせた」と謝罪。説明なくアカウントを削除したことも不適切だったとした。本人は「心からおわびする」と話しているという。

朝日編集委員、新型コロナ「痛快な存在」 ツイッターに不適切投稿 - 産経ニュース

うーん、これは、私たちのような第三者な庶民から見てもザ・痛快なので結果的winwinなんじゃないかな。
いやあすばらしいエンターテインメントだよね。
それがジャーナリズムとは口が裂けても言えませんけど。



まぁ発言を批判することは簡単ではありますけども、公平に見るならば、彼の発言でネットではそこら中で見る「〇〇ざまぁwww」と草を生やしている私たちの発言と大差ないわけでしょう。
リベラルな人たちにとっての宿敵であるトランプが苦しんでいるだろう様子を幻視して喜ぶ人たち。
その意味ではやっぱり素朴な「個人の」感情の発露であり、そこまで批判する問題なのかというとちょっと考えてしまうんですよね。
ぶっちゃけ「マスコミや中国人や韓国人が苦しんで飯がウマいwwwwwwww」という――まさに彼ら彼女らが批判するところの――ネトウヨと鏡の裏表でしかなくて、そちらも同じように批判しているかというと自分もそこまで暇ではないし。
その向かうベクトルが真逆、というだけ。


やっぱり、結局朝日新聞の記者様も我々と同レベルなんじゃないか、という御尤もな批判は無論あって然るべきですけど。
だってそれは、どう言い繕おうと、自分が嫌いな相手が不運に見舞われたり苦しんでいる様子を見て留飲を下げる、という行為に他ならないわけだから。


ということでこの人の「痛快」発言は、その是非はともかくとして、別にそれ自体は結構どこでも見られるありふれた発言でしかない。
それこそ一昔前に『希望は戦争』であると喝破した、格差構造から抜け出せない絶望からガラポンを内心で待望してしまう絶望の若者たちがあったりしたように。
ただ今回の件がそれと同じような深い絶望から生まれる言葉かというと、やっぱりそんな印象はまったくなくて、
それこそ上記キライな人たちの不運を「カジュアルに」嘲るネトウヨと同レベル、という方にかなり近いのが今回の件の愉快な所だと思います。




気軽に「飯がうまいwww」という発言をしてしまう新聞記者について。
でもまぁ彼ら彼女たちが大好きなエクスキューズである「発言は個人の見解であり、所属する企業とは関係ありません」からそこまで問題ないよね。
むしろより市民に寄り添う庶民的な新聞記者と言われたら、そこそこ同意してしまうかもしれない。


……アカウントごと消しちゃったし朝日新聞本体まで出てきて謝罪してるんですけど。


かくして私たちは、勝手に独り相撲をしている朝日新聞ダブルスタンダードを一体どのように考えればいいのだろうか? という問題に直面することになる。

  • 記者の個人的なイデオロギーやポジションが「本当は」紙面そのものにも関係があると思っている。
  • 関係ないが、炎上していたしここは何も考えずにとりあえず謝罪している。

個人的にはやっぱり最初に書いたように「何も考えてないと思うよ」オチが一番ありそうだとは思ってますけど。



  • 「日本政府はコロナ対応が場当たり的である!」
  • 「記者個人の発言であるけれど、不謹慎でした朝日新聞として謝罪します」

皮肉にも彼らが今回のコロナ騒動での不手際(それ自体には確かに一定の説得力がある)として批判する日本政府の対応とソックリになってしまっているのは、やっぱり高度な日本社会風刺として秀逸なエンタメだよねえ。
ジャーナリズムとしては、……うん、まぁ、そうねえ。


みなさんはいかがお考えでしょうか?