「土用の丑の日」が「『そういう時代だった』は通用しない」と断罪される日はやってくるだろうか?

『そういう時代』に「土用の丑の日!」と謳い続けるメディアの罪の重さはどれくらい?







「土用の丑の日」やめません?ウナギ7割が違法疑い!メディアが報じない有効な対策とは???(志葉玲) - 個人 - Yahoo!ニュース
ということで当日記でもちょくちょく書き続けているウナギネタであります。

○流通しているニホンウナギの7割が違法の疑い
 絶滅危惧種を乱獲し続けていること自体が異常なことであるが、それに加え深刻なのは、日本の市場に出回っているニホンウナギの大半が、違法或いは不適切なかたちで採捕された稚魚を養殖したものという状況だ。19日の「シラスウナギの違法な漁獲と流通に関するセミナー」(主催:NACS-J、JWCS、WWFジャパン)で、IUCNウナギ属魚類専門家グループ/中央大学教授の海部健三氏は「2015年に国内で池入れされたウナギ稚魚の18.3tの内、密輸が疑われるものが3トン、密漁と無報告が疑われるものが9.6トン。適法とみられるものは5.7トンです」と言う。つまり、違法或いは不適切なかたちで採捕されたウナギ稚魚は全体の7割を占めるということだ。

「土用の丑の日」やめません?ウナギ7割が違法疑い!メディアが報じない有効な対策とは???(志葉玲) - 個人 - Yahoo!ニュース

駆り立てるのは野心と欲望 - maukitiの日記
久しぶりに過去日記を検索してみたらもう9年(!?)も前に書いたウナギ日記ではありますけど、今見ると色々と拙い日記内容ながら、概ね未来予想としては間違ってなかったかなあ。
我々の『共有地』でもある海と河を結ぶ河口部にあるからこそ、違法あるいは不適切な密漁というインセンティブから逃れられないシラスウナギ漁。それを規制していくのは――もちろん不可能ではないにしろ――やっぱり簡単ではないよねえ。
上記サイトでも指摘されているように、更なる密漁品排除を目指す制度改革が進んでいるそうで(贅沢品としてはそこまで個人的に興味が無い故に)ウナギ保護にほぼ無条件に賛成するポジションな僕としてはそれが成功するように祈っております。
ただ、それでも、やっぱり9年前(!?)書いた日記の通り、私たち大衆がウナギの味に関心を持ち続けている限り、前途多難だなあと悲観的に思ってもいますけども。





ともあれ、今回の日記の本題にしようと思ったのは、既に9年前に日記にしたときから言われ続けている今更すぎるウナギ密漁云々ではなく、むしろ後半部分の方なんですよね。

○問われる報道のあり方
 世界的に水産資源の減少・枯渇が深刻となる中、IUU漁業を根絶することは国際的な流れだ。欧州や米国では日本に先駆けてIUU漁業規制のための法制度を導入している。このような中で、日本のメディアも、ただ恒例ネタとして「土用の丑の日」関連のニュースを報じるような姿勢を見直すべきではないか。民放や新聞の報道、例えば「土用の丑の日にむけ、ウナギ輸入ピーク」「土用の丑の日商戦スタート」「稚魚豊漁で今年はお手頃価格」などといった報道では、視聴者や読者の消費欲を煽る一方で、ニホンウナギ絶滅危惧種であることや、流通するウナギの大多数が違法或いは不適切な採捕によるものであることについて、全く触れていない。だが、IUU漁業根絶のための動きを報じることが、メディアの社会的な役割ではないか。

「土用の丑の日」やめません?ウナギ7割が違法疑い!メディアが報じない有効な対策とは???(志葉玲) - 個人 - Yahoo!ニュース

この著者の方の記事に関しては、特に国際関係においてはまったく同意できない内容も多いんですが、しかしこの件では頷くしかないお話だよなあと。
やっぱり上記でも書いたように「メディアの報道」の方がウナギ保護にとってより重要であるとすら思うんですよね。
――ぶっちゃけ「土用は丑の日!」なんて消費者を煽るからこんなことになっているじゃないのかと。
その意味では、密漁している人たちと同じかそれ以上に、それをメディアで煽っている人たちの責任は重いと僕は思っています。
ウナギ絶滅を煽っている人たちと、それに煽られている人たちと、そこに商機を見出し密漁する人たち。うーん、完璧な三位一体であります。


さて、そうした視点で見ると、今の小山田さんの過去のイジメによる「そういう時代だったは通用しない!」とキャンセルカルチャーされている構図とちょっと近い所があるんじゃないかと思うんですよね。
ウナギに関しては、今、まさにこの瞬間も『そういう時代』じゃないのかと。
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「そういう時代だったは通用しない!」と怒られキャンセルカルチャーされてしまっている人たち。
あるいは「そういう時代だった」からと擁護されている人たち。

 『昔のことだから』『そういう時代だったから』で済むことと、済まないことはあります。少なくとも今回の問題は、公の立場の人の、公の場での発言をめぐる騒動です。ネット上でもインタビュー記事を読みましたが、いじめた相手に対して反省の気持ちはもちろん、『悪いことをした』という思いもないように見えました。今は、そこから成長されたのでしょうか。

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翻って今回の件もいつか「土用の丑の日!」とウナギ絶滅への道を舗装していた人たちが断罪されるような時代がやってくるだろうか?
「そういう時代だった」では通用しないのは今回のウナギの件でもまったくその通りじゃないのかと。
結局この日記を書き始めて10年経っても我々のウナギ保護の意識は遅々とした進歩でしかなかったものの、次の10年ではもうちょっと変わるかもしれない。
そしてその時こそ、今の小山田さんの騒動のように「土用の丑の日!」と謳っていたメディアたちは断罪されるときが来るかもしれない。


(今回の小山田さんの記事を載せていた雑誌社だけではなく、オウム事件や『3・11』や反ワクチン報道でのメディアたちの態度を見ながら)
う、うん、まぁ……、そうねえ……。
しかたないよね! 政府に検閲されていたんだもんね! 消費欲を煽れとヒトラーアべに強制されていたんだ! ウナギ絶滅戦争に協力せよと新聞も嫌々強制させられていたんや!
ウナギの味に熱狂する衆愚な民衆たちに言わされていたんだ!
……社会の木鐸? なにそれおいしいの?


――まぁ僕としては、上記のオウムや『3・11』や反ワクチンの報道後の彼ら彼女らの態度を今私たちが目にしているのとまったく同じように、自分たちの責任を棚に上げて無実なフリをしながらしれっと「愚かな大衆と悪質な密漁者たちによるウナギ絶滅」なニュースを流す可能性が一番高いと予想していますけど。
でもウナギ規制の成否についての未来予想と同様に、当たり前ながら自分の願望と可能性の高低は別であります。
実際に10年先にどうなるかは解らないし、もしかしたらワンチャンあるかもしれない。
今の時代に「土用の丑の日!」と叫んでいた人たちが、いつか近くて遠い将来の社会で「そういう時代だったは通用しない!」とキャンセルカルチャーされることを、可能性は低いながらwktkしながら期待しております。


未だに「土用の丑の日!」と謳われる、まさに今この瞬間が「そういう時代だった」な2021年に生きる、みなさんはいかがお考えでしょうか?