現代ジャーナリズムの限界のひとつ

送信側と受信側の乖離。


なぜニュースサイトの記者は記事へのアクセス数を知るべきではないのか? - GIGAZINE
目先の数字はあまりにも魅力的だというのは頷くしかありませんよね。

記者にPVのデータを与えないというThe Vergeの方針は、PVのデータを与えることでかえってサイトへのアクセス数が減少すると考えているからだとのこと。つまり、記者がPVのデータを知らされることでより多くのPVが得られる記事ばかりを作成するといった目先の結果を追い求めるようになると記事の質が落ちてしまい、結果的にサイトへのアクセスが先細っていくはずだとThe Vergeは考えています。パーテル編集長は「The Vergeの読者は、記事が知的で格調高いため、質の高い記事があるために私たちのサイトを訪れたいと思うのです。『知的さ』をPVで測定できるとは思いません」と語っています。

なぜニュースサイトの記者は記事へのアクセス数を知るべきではないのか? - GIGAZINE

まぁこの辺はマスコミや出版など、多くの業界で語られているお話ではあります。こちらもずっと言われているテレビなどでの視聴率偏重主義的な構図。
「数字さえ取れればそれでいいではないか」なんて。
もちろんそれに完全に頷くわけにはいかないけれども、しかし、だからといってそれを完全に切り捨てることもできない。


結局彼らも営利企業であるわけで。その「短期的な」利益という目先の誘惑に囚われてしまうのも無理はないお話なのでしょう。身も蓋もなく言ってしまえば彼らのお仕事というのはその高尚さ低俗さといった中身に関係なく、必ずしも日常生活には必要ない、『娯楽産業』に近いモノでもあるから。広義には上記引用先のニュースサイトのような、所謂『高級紙』を目指すような人々にすらある、それは現代におけるジャーナリズムの問題の根幹にあるお話でもあります。
良い意味でも悪い意味でも、彼らが私たちが見たいものを見せようとしてくれる。
かといってその私たちの関心は、それは大抵の場合長続きしないし、関心の向かう先が必ず賢明な方向だとも絶対に言えない。故にそれに合わせてニュースを作ろうとすると以下略だし、かといってそれを無視してスノッブなやり方でやろうとしても以下略。


がんばれジャーナリストたち。