とある大国の幻想殺し

別タイトル案「彼は監禁され死んだのではない、恥辱のあまり自死したのだ」



ノーベル平和賞受賞者の劉暁波氏が死去 批判に中国反発 - BBCニュース
劉暁波氏――中国が消せなかった人 - BBCニュース
危篤状態辺りから結構な国際ニュースとなっていましたけども、散骨まで「無事に」終わってしまったそうで。

中国共産党機関紙「人民日報」の国際版、「環球時報」は、劉氏は欧米のせいで「道を踏み外した被害者」だと書いた。
「中国側は劉氏の治療に専念していたが、一部の欧米勢力は常に問題の方向を政治的なものに変えさせて、治療を『人権』問題にしようと騒ぎ立てた」と同紙は続けた。

ノーベル平和賞受賞者の劉暁波氏が死去 批判に中国反発 - BBCニュース

対してもちろん欧米や私たち日本を含む国際社会は最低限の批判を口でしてみせるものの、そうはいっても中国市場が死ぬほど大事な「It's the economy, stupid」でもあります。何もしないよりマシではあるからセーフと擁護することはできるかもしれないね


ということで今回の件は、改めて現代中国さんちの強権さというだけでなく、むしろそれを実行できるだけの――国際社会からの非難を完全に突っぱねるだけのパワーを証明してみせたお話ではあったかなぁと。一連の批判に対する彼らの声明でもしばしば出ていた「内政干渉だ」という反発は、かつて南北アメリカではモンロードクトリンを唱えたアメリカや、自国勢力圏内ではソ連の意向こそが最優先されるとしたブレジネフドクトリンなど、まぁ目指そうとしている方向自体は大国が目指すよくあるパターンで理解できますよね。
外国から自分たち(自国勢力圏内の近隣国含む)のやることにとやかく言われたくなーい! という気持ち。
今回の中国さんの強硬な対応は、『ノーベル平和賞』という現代国際社会の大幻想の一つというのもあって、その典型的なテストケースとなっちゃったのが基本構図だと理解しています。ぶっちゃけて言えば、大きな国際ニュースとなったことで単に民主主義運動家の処遇云々ではない『面子』が掛かるようになっていた。



当日記でもこれまでも何度か冷笑的にネタにしてきた『ノーベル平和賞』という幻想の帰結は、今回も同様によくあるオチでもありましたけど、しかし、今回のは加えて別の意味でも無力さを象徴したのが印象的であります。

そして中国政府はこれからも、劉氏の後に続く人たちを脅し、迫害し、懲罰を与え続けるだろうが、このノーベル平和賞受賞者の記憶を消し去ることはできない。81年前のナチス・ドイツが、自らの恥を決して消すことができなかったのと同じように。

劉暁波氏――中国が消せなかった人 - BBCニュース

もちろん意図としてはナチスによるによる弾圧との連想効果を狙っているんでしょうけど、そこに現代中国と共に言及してしまうと、つまり81年前のヒトラーの時代と同様に、まるで成長していない「ノーベル平和賞」を持ち上げ続けてきた人たちの現実的影響力の無力のなさの再証明ともなってしまう。あの時のドイツだって、結局は国家が物理的に潰されるまでは平然としていたのだしね。実際、私たちも今の中国との致命的関係悪化を招く軍事的・経済的オプションなんて、現実には事実上存在していないも同然なのだから。
ヒトラーの時からまるで成長していない私たち国際社会。
足元を見られている、とはまさにこのことでしょう。



国家権力に対する受賞者の無力さというよりは、それをただ傍観するしかない私たちの無力さ。
いやぁノーベル平和賞って現実の厳しさについていろんなことを教えてくれているよね。



世界が平和でありますように。
中国外務省、劉暁波氏へのノーベル平和賞授与は「冒とく」 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News
――まぁ少なくとも中国政府にとってはまさに彼が平穏に死ぬことで国内的には「平和」が実現している。