「セックスは子作りじゃない」

性規範について合意できないアメリカ人たち。


トランプ氏、妊娠中絶禁止法の論争に沈黙破る - BBCニュース
トランプ大統領が行き過ぎと示唆-アラバマ州の人工中絶禁止法 - Bloomberg
米アラバマ州、厳格な中絶禁止法が成立 - BBCニュース
そういえばまたアメリカで中絶問題が盛り上がっているそうで。ザ・風物詩。

トランプ氏自身は、この問題について立場を変え続けており、1999年には「自分はとてもプロ・チョイス(訳注:選択権支持、アメリカでは『中絶支持』を意味する)だ。自分は中絶の概念そのものが大嫌いだ。大嫌いだ。それが意味するすべてのことが大嫌いだ。この問題を人が議論しているのを聞くと、ぞっとする。ただしそうは言っても……自分は選択する権利を信じているだけだ」と、中絶容認の姿勢だった。

それが2016年3月には、自分の立場は「例外ありでプロ・ライフ(中絶反対)だ」と発言していた。

トランプ氏が「2020年(大統領選)で命のために勝つ」には、与党・共和党の一致団結が必要だとツイートした一方、野党・民主党からも、この中絶問題が次の大統領選の主要課題になるという意見が出ている。

トランプ氏、妊娠中絶禁止法の論争に沈黙破る - BBCニュース

トランプ米大統領は18日遅く、 アラバマ州で成立したほぼ全ての人工妊娠中絶を禁止する法律は行き過ぎだと示唆するコメントをツイッターに投稿した。

  大統領は一連のツイートで、中絶反対を「強く支持するが、3つの例外がある。性的暴行、近親相姦(そうかん)、母親の命を守る場合だ」と記した。

トランプ大統領が行き過ぎと示唆-アラバマ州の人工中絶禁止法 - Bloomberg

正直トランプさん自身はどうでもよさそう感ある。
ただ、彼の政治的勝利がもたらした最高裁判事の多数派争いもあってタイミング的にこういう流れになること自体は理解できるよね。




もちろん現代日本に住む大多数の私たちとしては、ちょっとどうなの感は否めませんけども、ではこれが「世界的に見て」とりわけて異端かというと、やっぱりそうではないでしょう。古くからのキリスト教はもちろん、イスラムなどの各宗教は基本的には禁止してきたんだから。
世界から見て中絶容認が絶対的多数派であるかというとやっぱりそうでもない。
だからこの話題で特にアメリカが大きく話題になるのは、その相違が国内的に生まれているからという理由も大きいわけで。普段は分かれて暮らしている故に軋轢も少ない宇宙船地球号の私たち。
同じ国家で分断されているアメリカ。まぁだからこそ『合衆国』たるアメリカだという言い方もできるんですけど。


ただ、この中絶是非について燃え続けているアメリカを「宗教保守による~」という文脈だけで見るのもあまり正確ではないんですよね。もちろん宗教が重要な要素であったことも間違いないんですが。
この辺は緒方房子先生の『アメリカの中絶問題 出口なき論争』などが詳しく、むしろこの中絶問題って宗教を越えた『文化』の問題になっているそうで。つまり、女性の生き方、家族観、性道徳についての問題であると。この辺はイスラム女性のブルカ問題なんかが近いのかもしれない。
「セックスは子作りのためだけじゃない」と解放を求める人たちに対して、「いや、セックスはまず子作りのためだろう!」と言う種付けおじさん保守的な性規範を支持する人たち。


故に中絶へのハードルの高低が、ひいてはアメリカ社会の「かくあるべき」規範(家族)を決めるのだ。
――であればこそ、特に1990年代以降から、アメリカ政治において重要な選挙テーマになったんですよね。

アラバマ州では15日、レイプや近親相姦による妊娠でも中絶は認めない、全米で最も厳しい人工妊娠中絶禁止法が成立した。

ザーロットさんは、この法律は女性を「産む機械」としか見ていないと批判している。

「レイプで妊娠し子供を産んだ」 米アラバマ州の女性、中絶禁止法に抗議 - BBCニュース

だから本邦でもおなじみな「産む機械」という彼女の反論は、そうした(古き良き?)性役割という価値観への反論としてはそこまで間違っていない。


ちなみに、こちらも現在進行形で続く同性婚についての議論もこうした文化的議論の射程に含まれるんですよね。アメリカに限らずほとんどどこでも近代国家は、異性による結婚による家族という組織化を国家の基本構造としてきた。故に宗教ではなく文化的保守観として異性婚こそあるべき、家族の、社会の、そしてひいては国家の姿であるとして「同性婚反対」へと論理が導かれると。


以前にも日記ネタにしましたけども、ハンチントン先生は、こうした中絶などの――ポルノの扱いなどこうした「性」のかかわる問題では特に顕著でもある――ある一つのテーマに対する反応の違いこそが将来の対立の種になると仰っていたわけで。予想していたのかいなかったのか、高度に進んだグローバル化によってアメリカやヨーロッパなど先進国の社会の内部でこうした『衝突』が目に見えるレベルで起きつつあるのは個人的に興味の尽きない構図だと思ってます。
おそらくこの文化的闘争は多くの移民難民を受け入れたヨーロッパでも遠からず起きる(既に起きている)構図でもあるし。そしてその動揺が、まさにグローバル化を通じてまた世界へと拡散していく。


グローバル・ギャグ・ルール(GGR)がセクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(SRHR)に与える影響 | ヒューライツ大阪(一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター)
こうしたアメリカの動揺が、GGRなんかを通じて世界全体へと広がっているのを見るとやっぱり今後の世界線は『レクサスの世界』ではなく『文明の衝突』コースなのかなあとちょっと思ったりします。


国内ですらその価値観について未だに合意できないというのに、私たちが異なる文明の人たちと一緒に暮らしていけるのか。多様性を保持できる民主主義社会だからこそ陥っているアメリカ政治の現状について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?