中国式「高信頼社会」のつくりかた

ロバート・パットナムなんてやっつけろ!



「香港のデモ」に中国人が送る超冷ややかな視線 | The New York Times | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
これは面白いお話。
先日の香港のデモはそれはもう大きなニュースではありましたけども、個人的に――ふだん自分をリベラルだと自称していながら――あまりこのトレンドに乗れなかった理由がうまく説明されていて思わず納得してしまうお話だなあと。いや、やっぱりこうした態度って一国主義的で、「普遍的」人権を謳うリベラルの自殺でもあるんですけど。

中国共産党は、経済的利益というレンズを通して世界を見ることを、国民に長いこと奨励してきたが、香港の抗議活動に懐疑的な国民の姿勢を見ると、それがしっかりと定着していることがわかる。自由で空腹を満たすことはできない、というのがその考え方だ。

そして香港の人々が持つような個人の権利、つまりメディア、法廷、抗議デモを介して政府に挑むことは、中国に大混乱を引き起こし国は再び貧困や飢饉に陥ることを意味する。

このような考え方がエリート層にまで及んでいることは、香港と中国本土のさらなる対立を暗示している。中国で中流階級が広がれば国民は必ず個人の権利をより強く主張するようになり、中国共産党は社会統制を緩和、あるいはともすれば民主化せざるをえなくなるという可能性を、一層疑問視させるものだ。

「香港のデモ」に中国人が送る超冷ややかな視線 | The New York Times | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

リベラルな私たちはそれを批判するけども、そもそも現地の彼らは――そしてひいては中国国民は、それを望んでいるのか、という根本的問題について。
そして上記エリート留学生引用先の通り、抗議デモ推進は大多数の人びとの不利益になっている、という声が実際に存在していると。


こうした社会通念への過激な挑戦とそれに付随する社会混乱、への批判というのはまぁ確かに一理あるわけですよ。本邦におけるより大人しいデモですらしばしばみられる言説でもある。
一般に私たち人間の社会とは、その内部の構成員たちがお互いに暗黙の内に同意している規範意識と相互の信頼関係が強ければ強いほど、繁栄しやすい。大規模なデモは良くも悪くもそれへの挑戦となるわけで。


ロバート・パットナムが提唱したソーシャルキャピタルを契機に、これまでも何度かこの日記でも引用したフランシス・フクヤマの『信なくば立たず』、そしてKnack and Keeferが述べていた社会関係資本が=協力関係を生みやすい社会とは、多くの場面で効率化を促しコストを低減すると言っているのってつまりそういうことなんですよね。

そしてパットナムは、ソーシャル・キャピタル社会関係資本)を次のように定義し、信頼が本質的な構成要素であると主張する。
ソーシャル・キャピタルは、調整された諸活動を活発にすることによって社会の効率性を改善することのできる、信頼、規範、ネットワークといった社会組織の特徴をいう。ソーシャル・キャピタルは資本の他の諸形態と同様に生産的で、それがなければ達成できないような一定の目標を実現しうる。…例えば、メンバーが信頼できることを明示し、お互い広く信頼している集団は、そうでない集団の幾倍も多くのことを達成できよう。*1

選挙や汚職の少なさ*2、あるいは地域活動や同じ(地元の)ニュースになどに触れることで通じて育んでいく、社会関係資本
それはただ相互に安全な生活を提供するというだけでなく、お互いに信用していれば取引コストは最小限にできるし、そして何より相互に信頼があればより広範な協力関係をより容易に構築することができる。
低コストで協力できるということはより大きな生産性を効率よく生み出すことに繋がっていく。であればこそ高い信頼関係を持つ社会の多くが反映してきたのだ。
リカードを讃えよ。


その視点で考えると、しばしば批判されるあちらの『ディストピア的監視社会』の有効性、またそれがあちらの国内で事実上容認されている現代中国の構図も(もちろん賛成できるかは別として)理解できるんですよね。
中国で浸透する「信用スコア」の活用、その笑えない実態|WIRED.jp
だってそうすることが少なくとも私たちが善き状態であると定義するところの「高信頼社会」に限りなく近いものが実現できるから。
――たとえそれが中国共産党によって一方的の提供された信頼性であろうとも。
それが社会の中で自然発生なのか恣意的なのかはどうでもいい、というのは概ね正しい認識ですらあるかもしれない。私たちが信奉する市民制度に基づく『規範』も、共産党独裁が提供する『信用システム』も、どちらも結果としては同じもの=信頼関係を生んでいるのだから。

  • 私たちは市民活動を通じて近隣住民達を同じ共同体の仲間だと相互に信用することで社会を安定させ発展させていく。
  • 私たちは中央政府が提供する信用システムによって他者を信用に値する人物だと教えてくれることで社会を安定させ繁栄させていく。


民主主義社会で育ってきた私たちが――これこそ最終的解決であり『歴史の終わり』だとは言い過ぎにしても――他の方法などまるで考え付かない程度には確信をもっていた、社会の中で生み出した信頼関係を基礎にした繁栄する社会。まず社会に信頼関係があって、そしてそれをテコに経済発展していく。
しかし中国は他の手法によってそれを実現している。まさに中国式モデルとして。
「自由で空腹を満たすことはできない」故に自由ではなく強固な秩序によって。


現代中国の支配者である中国共産党は、彼らの遠いルーツでもある論語を正しく実践している。
『無信不立』
おそらく私たちが中国国民にインタビューしたら(というかBBCなどのニュース動画で実際に見られるように*3)「はい、党はすばらしい政治を提供しています!」と判で押したように答えるんじゃないかな。
いやあ「アベはヒトラー!」などと連呼される日本の民心に疎い政治家とは大違いだよね。


普通選挙や地域活動に反対する人を見るとき、あるいは中国共産党へ徒に挑戦する人たちを見るとき、
「あいつは一体何を考えて、この私たちの共同体の和を乱しているのだ???」
私たちは同じ顔をしている。


現実におけるchaosとlowの争い。
私たちゲームオタクが画面の向こうに見てきた風景とよく似た現実がここにあると思うんですよね。人びとの自由意志が結果的に信頼関係を構築するのか、それとも強い権力がそれを提供してくれるのか。


そして、それぞれの信頼関係に差はあるのか?
少なくとも現代中国経済の成功と発展を見る限り、そこに差はないようにみえる。


一方で、経済成長を大前提とした中国式モデルが上手くいっているとして、しかしその経済発展に(相対的)取り残された香港でこうして反対運動が起きているのはまぁ当然の帰結かもしれない。

今では世界は中国政府に直接話を持っていく。香港の超高層ビルは上海や深圳の高層ビルですっかり影が薄れてしまった。多くの香港の芸能人は中国本土の第1言語である北京語を学んでいる。香港の小売業者は、高級品に散財する本土の観光客にますます頼りつつある。

「香港のデモ」に中国人が送る超冷ややかな視線 | The New York Times | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

今回の香港デモは、おそらく近い将来やってくるだろう経済停滞に伴う革命運動の前哨戦なのだろうか。


みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:https://researchmap.jp/?action=cv_download_main&upload_id=94378

*2:権力監視手段に乏しく為政者から「不当に搾取されている」と感じる人が多いほど社会の信頼関係は失われていく。

*3:天安門事件から30年 中国が忘れた映像 - BBCニュース