私たちが今いるのは2015年頃までに欧米社会が既に通った「表現が不自由」な道

夏休みでサボってました。これは一週間前位に書いて放置してた日記。


「日本が遅れている」のではなくて、ようやく欧米社会に追いついてきたことの証左。


大村知事「表現の不自由展、私は『やめてもらえないか』と【強い要望希望】はしたが、一線は超えなかった」…憲法的には、そういうもの? - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
【会見動画】愛知・大村知事「芸術の中身はすべて津田監督の全責任でやっている。実物じゃなくパネルにしてくれと強い要望もした」 | KSL-Live!
うーん、これまでの関連日記でも書いてきたように、このネタってやっぱり「政治家による有象無象の圧力」という意味で私たちリベラルな現代社会における最前線の重要なテーマだよねえ。

そういう枠組みでやってきたので、この表現の不自由展については内容を事務方から聞いたのは6月の半ば、その段階で「これ本当にやるのか?」と津田監督を通して「この点についてはやめてもらえないか?」「実物じゃなくてパネルにしてくれたらどうか?」「写真はダメだ。見てもらうだけだ」とか、強い要望希望は申し上げました。ただその一線を超えると憲法21条の話になってしまう恐れがある。ましてや事前ですからね。途中段階でそういう話をしたら「それだったらこの企画をすべてやめる」という話もされた。そうなるとまさに憲法21条の話になってしまう。強い要望はしたが我々としては施設の管理運営を円滑にやっていくということ。
「続きは・・・」リンク https://ksl-live.com/blog25084 .

【会見動画】愛知・大村知事「芸術の中身はすべて津田監督の全責任でやっている。実物じゃなくパネルにしてくれと強い要望もした」 | KSL-Live!

その意味でいうと、日本が遅れているのはその自由への権利意識それ自体ではなくて、ようやく「進んでいる」欧米諸社会と同じ問題に直面するようになったんだなあと逆の意味で感慨深いところではあるんですよね。
しかも彼ら欧米社会ですらこの「検閲」と「自主規制」と「表現の自由」の問題は解決されていない。
なので殊更に日本だけが遅れている・それを解決できない中世ジャップランドだと嘆くのもあまり適切ではないとはやっぱり思います。
それこそ現代先進社会がどこでも直面している『表現の自由』の問題として。




かつてヨーロッパを中心にこの辺の「表現の自由か検閲か」ネタで特に大きく報道されいた一つが、ドイツの「フェイスブック法」でもあったわけで。
メルケルさんからフェイスブックへの『要請』、なんて。日本で同じことを安倍首相がやったらどうなるかwktkするよね。
メルケル独首相、フェイスブックに人種差別投稿への対応強化促す - ロイター
Merkel Confronts Facebook's Zuckerberg Over Policing Hate Posts - Bloomberg
罰金58億円! ドイツの「フェイクニュース対策法」は功を奏すか?|WIRED.jp
かくしてその『忖度』『検閲』という批判を政治的正しさ・反ヘイトスピーチという大正義でゴリ押ししてきた――そして見事にバックラッシュを受けている――のが、私たち日本が範としてきた少なくない欧米社会の現状でもあるわけでしょう。


もちろん、上記メルケルさんのフェイスブックへの要請という事例のように「建前としては」ヘイトスピーチや人種差別を取り締まるべきだ、と言っているわけではあります。
そうした解りやすい人種差別・憎悪なら話は簡単なんですよ。それこそトランプさんですらそれは否定しているように。
では、それがより曖昧な不安や不信感というレベルのものだったら?


多くの移民を受け入れてきた故に(当事者たる現地住民から発せられる大小様々な不平や不満として)生まれている表現の自由とのジレンマとしては、やっぱり「既出の問題」でもあるわけですよ。
ドイツ「ヘイトスピーチを24時間以内に削除しないSNSには最大60億円の罰金」法案可決(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース
この辺のドイツのジレンマとその顛末については上記記事が解りやすかったです。

明らかに人種差別を煽るようなヘイトスピーチの投稿ならすぐに削除も可能だし、投稿者の意図もわかりやすい。そのため動画でYouTubeにアップされた場合は削除も容易だ。だがヘイトスピーチの意識がなくとも、移民増加に対する日常の不安、不満をSNSに書き込み、それに同調する人も多く、それらの書き込みは、あっという間に拡散されていく。また他の民族、人種の異なる文化や習慣に対する些細な気持ちも、それが助長すると差別や隔離に繋がることもある。

ドイツ「ヘイトスピーチを24時間以内に削除しないSNSには最大60億円の罰金」法案可決(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース

「移民は死ね」がアウトなのは間違いない。
「移民は来るな」もアウト? それともセーフ?
「移民をこれ以上受け入れるべきではない」だったら?
一歩進んで「移民政策への反対」だったら?

「移民に反対する側に並んで議論している人々は、たいてい人種差別主義者です(聴衆の喝采)。人間を、特に黒や茶色の肌の人を嫌っているんです」*1

政策への反対や犯罪や日常の不満など、移民に対してネガティブな話題を持ち出すことそれ自体で、「人種差別主義者だ!」と批判されることをおそれる人びと。。
故に口をつぐむ私たち。
ロザラム*2? まったく何を言っているかわからないなあ。
――というのはまぁドイツでもフランスでもイギリスでも、そして『ポリティカル・コレクトネス』の本場であるアメリカでも(もちろんその実態は様々ながら)多かれ少なかれ存在した現実でもあるわけでしょう。
「そんなものは極少数の例外だ!」と否定することもできるでしょう。人種差別が社会に存在することを認めない人そっくりそのままに。
うーん、ぼくはぜったいどちらもあるとおもうよ。


そしてそうした移民問題への「沈黙を強いる姿勢」に対する大衆のガマンがいつしか爆発したとき、物語がはじまることになる。
いや、既に、私たちが欧米政治における反移民極右政党の台頭として観測しているように、もうその不自由に対するバックラッシュは始まっている。


であればこそ、遅れてやってきている日本の私たちはこうした欧米の失敗を教訓として、その大きな要因の一つでもあるこの「表現の不自由」をどうにか緩和していかなくてはいけないんですよ。
ある話題について「表現が不自由」なことへの不満が少数派だったら、社会における正義や公正さについてはともかく、それならまだいい。
もし、その不満が膨らみ多数派に、そうではなくても選挙で一定以上の議席を採れるほどに大きくなったら?


日本ではそうしたポピュリズムな物語がはじまらないといいよね。
タイトルの通り、普段は見習うべき範としているはずの欧米社会では、もうそのほとんどで既に通っている道ではあるんですけど。


みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:『西洋の自死』第二章「ただ甘んじて受け入れろ」

*2:ロザラム児童性的搾取事件 - Wikipedia