Re:1619年から始める新世界『丘の上の町』生活

丘の上たらんとするのも楽じゃないぜ。


「奴隷制は必要悪だった」アメリカ上院議員が発言。ジャーナリストや歴史家が強く反発 | ハフポスト
まぁ所謂本邦でも所謂ネトウヨ愛国者なみなさんに見られるような、ユニークな自国無罪史観なお人、という感じだよね。
「我々の先祖が悪いことをしていたかもしれない……?」
「そこまで悪くはないはず……(悪い前例を提示され)……いや、やっぱ良いことしかしてなかったわ!」
「過去の悪行を取り上げるあいつらはクソ!」
歴史修正主義者や!」
とバランスでも取ろうとしているのか一気に真逆に振り切れてしまう人たち。


日本人「だけ」が特別にクソだと口が滑ってしまう本邦のレイシストな人たちと違って、そうした差別主義に反対な立場であるリベラルな僕としては、今回のアメリカでも、あるいはヨーロッパでも日本でも中国でも韓国でも、我々の『人間性()』としては世界中のどこでもみんな同じ位にクソすばらしい存在だと思っています。

コットン議員は7月26日に掲載された地元アーカンソー州の新聞アーカンソー・デモクラット・ガゼットのインタビューで、「奴隷制は学校でどのように教えられるべきか」と聞かれ、次のように答えた。

「私たちは奴隷制の歴史とその役割や影響を、国の発展の中で学ばなければいけません。そうしない限り、我々はこの国のことを理解できないからです。建国の父たちが言ったように、奴隷制は合衆国が築かれる上で必要悪だったのです。しかしリンカーンが言ったように、合衆国はある意味で、奴隷制を全廃させる方向で築かれています」

「奴隷制は必要悪だった」アメリカ上院議員が発言。ジャーナリストや歴史家が強く反発 | ハフポスト

なのでまぁ、例えば原爆投下は必要悪だからセーフと「公の場で」答える人たちの割合を考えれば、やっぱり日本の公でされる慰安婦や南京なかった論と比較してどちらがマシかというとあんまり大差ないよねえ。


ともあれ、本題である「奴隷制は必要悪」について。
古き良きアメリカ精神を生み出したジェームズタウンの『飢餓期』 - maukitiの日記
アメリカの歴史に素人な僕としては、やっぱりタバコから綿花という労働集約的な農業の成功が、皮肉にもアメリカ経済の確立と奴隷制の「両方に」道を開いたと理解しています。
その意味では、確かに必要悪と言う事もできなくはないかなあ。
でもこの文脈ってつまり、新大陸アメリカにおけるタバコや綿花を基礎とした経済発展が本当に必要だったか? という点で分岐する構図でしかないよね。
それらは無くてもよかったのであれば確かに必要悪ではないし、それらが当時のアメリカに必要不可欠だったと答えるならば奴隷制は必要悪だということになる。





しかし今回のニュースで僕が面白いと思うのは、この人の「奴隷制は必要悪」な発言というよりは、それと同じ文脈でも持ち出されている「丘の上」的な主張の方なんですよね。

コットン議員はまた、アメリカを「どうしようもないほど堕落し、腐敗した人種差別の国」と見るのではなく「不完全で欠点はあるものの、人類の歴史の中で最も素晴らしく、高貴な国である」と見るべきだという持論も展開した。

「奴隷制は必要悪だった」アメリカ上院議員が発言。ジャーナリストや歴史家が強く反発 | ハフポスト

多分この人の本意というか、本当に言いたい・主張したいポジションはこちらでしょう。
――我々は素晴らしい国なので、だからこそ、奴隷制のことばかり取り上げるべきではない、なんて。
ジョン・ウィンスロップの魂を受け継ぐ人たち。
アメリカは世界で仰ぎ見られる「丘の上で光り輝く都市」となるべきだと信じている人たち。
まぁそうしたアメリカ例外主義*1なポジションの人が、一周回って恥ずべき奴隷制を間接的ながらも擁護に回っているのは、アメリカ社会の伝統にある矛盾とジレンマを体現しているようで、ほんとうにクッソ面白くてアメリカ社会というのを象徴するニュースだよなあと。


まぁやっぱりこの辺のお話についても、ただこのアメリカ人だけの愉快な性質というだけではなくて、日記冒頭にも書いた本邦でも見られる人たちと同じなんですよね。
別に彼ら彼女らって、南京とか慰安婦とかその都合の悪い存在を無いことにしたい、という事が何も本質的な目的ではないわけで。
むしろそれを言われると我々の素晴らしい国の価値に瑕疵がつき損なわれてしまう、というほんとうに素朴で無邪気で反発からその存在を短絡的に否定しようとしているだけ。
なので個人的にはネトウヨな人たちを見ても強く反発を覚えるということもなく、ひたすらうぶな人たちだなあと生暖かい気持ちにはなってしまうんですけど。
そんな歴史的な罪なんて、今回のアメリカのようにどこの国の歴史だろうが少し触ればほとんどどこにでもある事なので、いちいち真面目に反発するだけ無駄なのにね。


といってもこちらも人類世界に普遍的なお話で、本邦ロリコンアニオタへのテンプレ批判のような傷モノより無垢だいすきな処女厨の人たちってそれこそ世界中で――いやむしろ処女信仰としては多数派ですらあるかもしれない――いっぱい居るから仕方ないよね。
僕はNTR大好きなので処女じゃなくても全然OKです!





丘の上を目指さんとするアメリカ人の、愉快で悲しいまでに健気で複雑な奴隷制との向き合い方について。
それらは同時にまた、自国の社会や文化が素晴らしいモノであってほしいと素朴に願う人たちの、普遍的な姿でもある。


みなさんはいかがお考えでしょうか?