「中国の野心」を飼いならすことに失敗した私たち

結論だけ、書く。



米国務長官、中国を痛烈批判 「対抗へ新同盟構築を」  :日本経済新聞
米国務長官が歴代政権の対中政策を批判 民主化促す「関与政策」は抜本的に転換と強調 :東京新聞 TOKYO Web
わりと界隈では話題になっているポンペオさんのぶっちゃけ対中演説について。

ポンペオ氏は演説で「習(共産党)総書記は全体主義イデオロギーの信奉者だ」とみなし「共産主義に基づく覇権への野望」があると警戒感を表明。歴代の米政権が取り組んできた経済的発展を支援して中国の民主化を促す「関与政策」は「失敗した」と改めて断じた。

米国務長官、中国を痛烈批判 「対抗へ新同盟構築を」  :日本経済新聞

現状の――私たち日本からすれば――唐突に見える米中対立への旋回について、まぁ概ねこの辺りが正しい現状認識ではあるのでしょう。
そんなポンペオさんの対中観が適切かどうかはともかくとして、まぁ確かに歴代米政権の「関与政策」が失敗したのは間違いないかなあ。
メルケルさんの「多文化主義は失敗した」という今更なぶっちゃけトークと似た感じあるよね。当時の政策の成否が明確になるのってそれくらい時間が掛かるということなのかもしれない


もちろん擁護することもできて、今となっては頑なな一部の人たちを除けばほとんど明確な事実として理解されていることでも、少なくとも20年前の時点では、未来学者ではない私たちにとっては確かに「中国がどう転ぶか」なんて解らなかったわけでしょう。
例えば米中関係研究の第一人者であったロバート・S・ロス*1などは当時中国楽観論を主張していたように、中国を刺激せずに敬意をもって扱えば敵対関係に向かわない、と結構真面目に語られていたんですよね。
中国の留学生や労働者を受け入れれば、彼らは帰国後リベラルな社会を生み出す礎となのだ、なんて。
当時の論調としては、むしろ敵対的な「封じ込め」をしていれば自己成就予言となると批判されるのが一般的でもあった。こちらの敵対的な態度が、あちらの敵対的な態度を誘発する。
まぁこの辺は本邦では対北朝鮮でもちょくちょく言われてきた構図ではありますよね。やっぱりそちらも失敗してるんですけど。




個人的にはまぁ当時にあった中国に対する楽観論も悲観論でも、そのこと自体は特に何かを言うつもりはないんですが、気になるのは「関与政策」に本当に意味があったのか、という点なんですよねえ。
例えばミュンヘン会談で、ヨーロッパ諸国がドイツに譲歩していなければ、という歴史のifを考えるように。



ポンペオ米国務長官の「対中苛烈批判」に見る中国理解の浅さ | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
同じポンペオさんの対中演説について批判的に取り上げているこちらの記事では、

そもそも、トランプ政権はこれまで「中国の人々と関わり、力を与える」ことを全くしてこなかった。トランプ大統領は中国への差別的な発言を繰り返し、米政府は中国国民へのビザ発給を大幅に厳格化させてきた。草の根レベルのボランティア活動なども打ち切っている。

ポンペオ米国務長官の「対中苛烈批判」に見る中国理解の浅さ | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

と、してしますけども、ではそんなトランプ政権のしていることと反対のことをすれば、中国の野心を食い止めることができたのだろうか? ――そこに言及していない点でちょっとこの記事は不誠実だと思ってます。
はたして、我々には「今のような中国」にしない為に、影響力を行使できる選択肢が何かあったのだろうか。
今回の流れを振り返ってみて、私たちがこれまでしてきた『対話』は無能故に失敗したのか、それとも中国がひたすら頑なだったのか。


しばしば私たちが『歴史の教訓』を賢しらに語るように、今回の「関与政策の失敗」からはどのような教訓を引き出すべきなのだろうか?


みなさんはいかがお考えでしょうか?