タイトルの元ネタは折原みと先生です(八年ぶり二回目)。
気候変動の最たる要因は「富」にある、「豊かさはいいこと」という考えから見直すべき - GIGAZINE
かつて卒業文集にも環境問題に取り組みたいと書いたグレタフォロワーな僕にとって、大変頷けるお話。
裕福な人々と政府が存在する国は、大量消費と充足したライフスタイルを促進する既得権益が存在します。個人の選択は他者や情報に左右されるため、このような既得権益によって人々は「大量消費」のライフサイクルに閉じ込められてしまうとのこと。
このメカニズムのカギとなるのが「Positional consumption」(地位消費)という考えです。ウォーウィック大学教授のフレッド・ハーシュ氏は社会的希少性によって少数の人しか手に入れられない財を「positional good」(地位財)と呼び、人は基本的な欲求を満たすと地位財を求めだし、これが経済成長を生み出すと述べています。しかし、全ての人々が地位財を求め出すと、消費の全体量が増加してしまいます。先進国の「平均的な生活」には地位財が多く含まれているため、先進国の人々が平均的な生活を求めた結果、世界的には大量消費と環境破壊が引き起こされているというわけです。
気候変動の最たる要因は「富」にある、「豊かさはいいこと」という考えから見直すべき - GIGAZINE
うーん、まぁ、そうねえ。
私たちは豊かな生活になればなるほど環境破壊、というのはそれこそ「中国やインドが先進国になったら地球がヤバい」とずっと言われているお話ではありますし、個人的にも「贅沢に憧れることが温暖化を招く」という結論は賛成できます。
――ただそれが「促進する既得権益によって」というのはあんまり同意できないかなあ。
どちらかというと、アダム・スミス先生が言ってた方が人間の本質に近いんじゃないかと。
『道徳感情論』の中で先生は、そもそも私たちが「より」働き経済的競争に勝とうとするのは、それが他者からポジティブな反応を受け取れる故に、と仰っているんですよね。
人類がわれわれの悲哀に対してよりも歓喜に対して全面的に同感する傾向をもっているために、われわれは自分の富裕をみせびらかし、貧乏を隠すのである。
他人の悲哀よりも、他人の歓喜に強く感情を動かされる私たち。
既得権益による誘導というよりは、私たちが地位財を求めるのは身も蓋もなく『承認欲求』に依るところが大きいと。
更にはこうした基本構造から、多くの人間社会は善や徳ではなく「金」の多寡による基本秩序が作られていく。
――お金が多いというのは二重の意味で幸福である。物理的にも、社会の地位という意味でも。
かくして物理的にも地位的にもより良い生活を求める私たちは、地位消費による競争によって経済競争を生み出し、しかしそれが大量消費と環境破壊をも同時に育んでいく。
まぁやっぱりこうした前提の上で考えるならば、たった一つのさえたやり方としては「環境保護運動が経済的にも有利であるという状況」を作ることこそが、そのジレンマに悩まされなくなる方法だとは個人的には思っているんですよね。
……現状では不可能だという点をのぞけば。
かくして窮余の策として多くの人たちが「豊かな生活を送ろうとするのは、道徳的に間違っている!」という方向に走ることになるわけですけども、しかしアダム・スミス大先生が看破したように、それは私たちが本質的に『憧れる』生活でもあるわけでしょう。
また同様に論文著者の1人であるイギリスにあるリーズ大学の環境経済学者のジュリア・スタインバーガー氏は「悪化する気候危機から私たちを守るには、『裕福であることや富を持つことは本質的によいことだ』という考え方に挑戦し、不平等を減らすほかありません」と述べました。
気候変動の最たる要因は「富」にある、「豊かさはいいこと」という考えから見直すべき - GIGAZINE
はたして我々は、裕福であることが良いこと、と考える人間の本質から脱却できるのだろうか。
ということで、グレタさんと違って子供ではない大人な私たちにとって、気候変動など環境破壊問題の解決を目指して採りうる選択肢としては三つあると思うんですよね。
- 経済的に有利であると証明するのが先か。
- 道徳的に正しいことこそを優先させるべく我々の意識を変革できるのが先か。
- あるいは我々人間が本質的に持つ地位消費という承認欲求を捨て去るのが先か。
いやあどれもこれも難しそうだよねえ。
みなさんはどれが一番近いとお考えでしょうか?