なぜベーシックインカムは実現しないの?

についての適当なお話。ちなみに僕のポジションとしては「(宝くじ当たったら)いいなぁ」レベルです。


「働かざる者も、食ってよし」という新しい規範への歴史的挑戦:日経ビジネスオンライン
日系BPさんちで少し前からやってるベーシックインカムの是非についてのお話。

 にもかかわらずBIが実現していないのは、実はもっと深いところに大きな問題があると考えている。

 1つは、「働かざる者、食うべからず」という人々の意識。もう1つは、「簡素でシンプルな制度なため、恣意性や裁量が介在しないことに対する行政の抵抗」である。

「働かざる者も、食ってよし」という新しい規範への歴史的挑戦:日経ビジネスオンライン

まぁ仰っていることは解らなくはないかなぁと。
一つ目の「働かざる者、食うべからず」という怒りは、まぁ確かに歴史的にも実際かなりのものがあったりしたわけです。最近の日本ではそれをニートのような人たちに向けて下へ向かって使いますけど、そもそもそれが政治的なテーゼとして言い出されたのはかつての貴族階級な人たちに対して、だったんですよね。「俺たちがこんなに苦しんでいるのに何もせずにのうのうと暮らしている奴は許せない、革命だ!」なんて。
私たちにはそうして「自ら生きている」という自負こそが、民主主義政治を支える現代政治哲学の根底にあるんじゃないかと思うんです。故にその思いは強力であると。これ以上書くと話がズレていきそうなので以下割愛。


二つ目の「行政の抵抗」については微妙にズレていると思うんですよね。官僚制度の本質的な肥大化傾向って、別に本質的に彼らが無駄が大好きだとか『外部』へ向けて影響力を強めたいとか単純にそんな理由だけから来ているわけじゃありませんよね。そもそも官僚たる彼らのやっている事がどんどん肥大化し裁量権が増大していくのは、彼らの『内部的な闘争』の帰結であるわけだから。
彼らはその閉じられた世界の内側で熾烈な権力闘争を戦っているのです。「縦割り行政」なんてまさにその通りで、彼らは本質的にはお互い敵同士であるのです。故に各々がそれぞれに縄張りと権益を少しでも拡大しようとして、結果として、彼らの行っていることは非効率化し肥大化していく。よく私たちは外から見ての、官僚などの彼らの閉じられた「なぁなぁだろう」という社会を批判しますけど、むしろそうした閉じられた閉鎖的な組織(公的だろうと私的だろうと)の方がより狡猾で策謀に満ちた権力闘争が行われているのです。
「行政組織の差配と肥大化欲求」とは彼らの『無能さ』の証明というだけではなくて、こうした彼らの精力的な『内部闘争』の証明でもあることを理解しないと間違えてしまうんじゃないかなぁと。まぁその争いにかまけるあまりに、効率性やコストが犠牲になっているという点については同意するしかありませんけど。
「行政の抵抗」によってベーシックインカムの実現が阻害されているというのは確かにある程度までは正しいんだと思います。その既存の権益構造が崩れることに抵抗するだろうから。ただ彼らは別に非効率化と肥大化そのものを求めているわけではないので、それが決定的で主要因かと言われればやっぱり微妙かなぁと。実際、そうやって行政の権益構造を破壊した例は、小泉さんの郵政改革など、それなりに例があるわけだし。

実現したら、それはとっても嬉しいなって

ということで、上記筆者に言わせればみんなが望んでいるはずのベーシックインカムの実現において最も大きな問題となっているのはもっと単純なお話だと思うんですよね。
ただそれが『未知』であるからこそ、というお話でしかないんじゃないのかと。結局のところ、まだ誰一人その領域に足を踏み入れたことがないわけで。将来どうなるかまるで解らない変化に足を踏み出すことに躊躇ってしまうのは当然のことでしょう。私たちはそんな未知の恐怖を克服できることなんて決してないんだから。
身も蓋もなく言ってしまえば、「なんでこんなに豊かになったのに実現しないんだ?」――そりゃまだ誰も成功したことがないからに決まっているじゃないですか。
失敗した時のことを考えれば誰もそんなリスクのある挑戦なんてとてもできない。人生にリセットボタンがないように、セーブ&ロードなんてありはしないのです。「とりあえずやってみよう」で失敗したら失うものが大きすぎてとても勝負なんてできない。元々失うものが少ない人ほどそれを望むのはそういう理由もあるんでしょう。そんな「希望は戦争」というお話に似た構図。


その意味で、もし今後そんなベーシックインカムについての実現する社会が見られるとすれば、むしろかつての共産主義国家の誕生と似たような経緯になるんじゃないかと思うんです。
つまり、上記リンク先の筆者や、あるいはそれこそマルクスさんが仰ったように「成熟した社会が昇華した結果生まれる」のではなくて、まったく逆に大恐慌による混乱や失敗国家などによる『一発逆転の方策』として試される方が可能性としてはありそうです。しかしそんな国では財政的に現実性がない。「なんでこんなに豊かになったのに実現しないんだ?」――むしろそんな『豊かさ』こそがその抑止力となっているんじゃないかと。


豊かさ故に実現の可能性が見えていながら、しかしその豊かさこそがその抑止力となっている。いやぁ皮肉なお話ですよね。でもベーシックインカムって結局そういうお話だと僕は思います。みなさんはいかがお考えでしょうか?