「国際社会が黙ってないぜ!」の顛末 2020Remix

クリミアに引き続き6年ぶり〇度目。


【オピニオン】ナゴルノ紛争を止められる国はあるか - WSJ
先日に引き続いてウォルター・ラッセル・ミード先生のたいへんためになるお話。

 アルメニアは西側の支援を期待するだろうが、支援は来ないかもしれない。第1次大戦時のアルメニア人虐殺問題は西側諸国の良心を焦がした。フランスから米カリフォルニア州にまで存在する強力で政治的に活発なアルメニア系移民のコミュニティーは、支援を呼び込むすべを心得ている。しかし、アゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領とトルコのエルドアン大統領はうまく時期を選んだ。米国は新型コロナや大統領選に気を取られているほか、外国駐留部隊の撤退や規模縮小の機運の中で、その反応は冷酷なものとなる公算が大きい。欧州連合EU)の行動は象徴的な制裁措置、懸念の表明、そして高尚な理念の雄弁な表現にとどまるだろう。

【オピニオン】ナゴルノ紛争を止められる国はあるか - WSJ

欧州連合EU)の行動は象徴的な制裁措置、懸念の表明、そして高尚な理念の雄弁な表現にとどまるだろう」
火の玉ストレート過ぎて草生える。


ともあれ、でもまぁ概ね正しい現状認識という他ないのでしょう。
アメリカもヨーロッパも頼りにならない。
――そして、もちろん「平和を愛する」我らが日本も。


いやあ普段は「国際社会が黙っていない!」なんて大言壮語を言ってみたりする我々ですけども、まぁ実際の行動としてはこんなモノだよね。
ウクライナは犠牲になったのだ - maukitiの日記
少し前のシリアやクリミアでも散々見た光景ではあるので、やっぱり「知ってた」案件だと言ってしまうと身も蓋もありませんけど。
いつものように国際社会の一員であるはずの私たちは、自らの利害に無関係な悲劇には死ぬほど無関心であるだけ。




平和を愛する私たちは、他ならぬ自らの手で、自らの不作為によって、「敵国には相応の軍事力を以て立ち向かわなければならない」という世界をこのように作り上げている。
それってただ単純に、独裁者やネトウヨたちのような軍靴の足音を望む軍国主義者たち、によって実現されるだけじゃないんですよね。
こちらも国内的にはしばしば登場する「政治への無関心の罪」として上から目線で断罪するような構図は一面では正しくて、そしてそれが国際関係のこうした基本構造を支えている。
まぁ社会学の基本中の基本でもあるよね。
今の社会に存在しているルールや慣習は、何もただ過去から継承されているのでなく、ほかならぬ今生きている自分たちがその存続に手を貸しているのだ、と。



もちろん国際世論がまったく無意味だということはないでしょう。
まさにそうした国際社会=欧米世論の無形の反発が中国包囲網を形成しつつあるように。
しかしそれもまず自主防衛あってこそという大前提があることは間違いない。
何せ他の誰も自分たちを助けてはくれないのだから。そこにあるのは利害当事者たちのあくまで自らの利益と動機に基づいた介入でしかない。
まさに、今、利害関係にない私たちが侵攻されているアルメニアを助けていないように。
いやあ国際社会、つまるところ私たち自身って、ホント薄情よね。

徴兵されていたアルメニア人MF、戦争で死去…22歳で
今、国際社会の一員()である私たちがナゴルノカラバフ戦争を見る目と態度。
私たちがかの戦争を見る無関心な態度は、いつか我々が見られるだろう無関心な態度でもある。


この点において、核兵器を熱望した北朝鮮のやり方は、ある程度までは合理性があるとちょっと思ってしまうんですよね。
それはどれだけ不当に殴られようが、どうせ究極的には誰も助けてはくれないのだから。
こんな世界で生き延びようとするならば、自らを助けるしかない。


かくして我々の無関心さによって、軍拡競争は進んでいく。
この無関心さがある限り、リアリズムは滅びぬ。


みなさんはいかがお考えでしょうか?