「メディアの偏った報道」を望むのはどなた

この国民にしてこのメディアあり。


「メディアの偏った報道」解消に挑む阪大教授の志(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース
問題意識としては概ね同意するしかない面白いお話ではあるんですけども、かといって、解決策が思い浮かばないのもその通りなんだよなあと。
その意味では「解消に挑む(解決できるとは言ってない)」ないつもの古臭いミームみたいな構図になってる感。

 日本の国際報道が偏りすぎている原因については、ナショナリズムと自国中心主義の影響が大きいと言えます。例えば、事故やテロがあれば、日本のメディアは「被害者に日本人がいるか」「その出来事と日本人にはどんな関わりがあるのか」といった点にばかり、まず目を向けます。

「メディアの偏った報道」解消に挑む阪大教授の志(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース

耳の痛いお話。当日記でも散々書いてきたネタではありますけども、まぁニホンジンってまるでトランプの申し子のような「自分たちさえ良ければそれでいい」な自国第一主義者ばっかりですよね。
シリアやコンゴの内戦の死者なんて知ったこっちゃないし、日本人が関わるべきではないもんね。
――いや、それを海の向こうのトランプ支持者たちのように自覚的にそれを言っているならまだ誠実なんですよ。
その癖に世界平和を訴え平和主義を自称するのってホント愉快な構図だと思ってます。
この海外からやってきた教授が看破しているように、そんな自国中心主義的なナショナリズムこそが日本社会の多数派であると。


ただ、その意味では、本邦メディアの「偏り」が何も彼ら彼女ら自身の不作為によるとは思っていないんですよね。
そもそもそんな風に、「被害者に日本人がいるか」「その出来事と日本人にはどんな関わりがあるのか」と本質的に関心や興味が無いからこそ、国際ニュースが少ない、というだけ。
もちろんそれが日本の為にならないというのも同意しますけど。
でも(かつての戦争の反省から)海の向こうに関心を持たないことこそが、平和に繋がると私たちは素朴に確信しているのだから仕方ないよね。
そうした無関心さというのは、確かにある種の平和常態でもあると擁護することもできなくはないのだし。まぁ相手側からも同じレベルの無関心さなのかどうかはやっぱり別問題なんですけど。


ともあれ、だからこそ、もし仮に偏っていない報道というのが実現できたとしても、そもそもそれを視聴者である日本の私たちが望んでいるのかというより深遠な問題もあったりするわけで……。

 ――この現状をどう変えたらいいでしょうか。方法は見えていますか。

 すごく難しい質問です。そして今後はますます、解決が難しくなっていくでしょう。残念ながら、この場での具体的な提言は無理ですね。報道のビジネスモデル自体が崩れているからです。

 同時に若者のニュース離れです。SNSが発達する以前から、ネットの世界では「ニュースはタダで見るものだ」という考えが社会に定着してしまい、報道のビジネスモデルは崩れていきました。国際報道どころか、普通の真面目な国内のストレートニュースですら消えていっているじゃないですか。日本の真面目な政治的な報道でさえ、存在が脅かされているじゃないですか。

 そんな状態では、国際報道どころではないでしょう。そして、そうした環境下でグローバル化に拍車がかかっているわけです。国際ニュースの量的な乏しさ、質的・地理的な偏りは、本当はますます日本の重要課題になっているはずなんですが・……。

「メディアの偏った報道」解消に挑む阪大教授の志(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース

政治を意識せずに生活できる方がミクロな個人的生活としては幸福である、というのはまぁ概ね真実であるのでしょう。
――私たちが政治を意識しておかなければ容易に権力は腐敗するというのも真実でもあるんですけど。
国内ニュースですらそうなんだから、いわんや国際ニュースをや。


ということで結局はこのお話って、偏った国際ニュースになっているのは、偏っていることを私たち視聴者が望んでいるから、というオチにしかならないんじゃないかと。
そしてそれは偏ったままでもそれでもなんとか生きていけている、という優しい世界の存在の逆証明でもある。
だから上記のように「見ないでいられる」現状が幸福であるというのはやっぱり一理あると思うんですよね。それが長続きするわけないし、きちんと世界の現実なニュース見ておくべきだというこの教授の言うこともザ・大人の正論ではあるんですけど。


海の向こうの国際ニュースなんて気にしないでいられる日本人の幼年期、その終わりは近い将来やってくるのだろうか。
個人的にはそれってかなり危険があぶない世界情勢しか見えないなあ。


みなさんはいかがお考えでしょうか?