今度こそ我々はリアリズムな世界から決別できるだろうか?

もしできなかったら……やっぱ核の傘と核共有やな!


ゼレンシキー宇大統領の日本の国会での演説全文
ということでゼレンスキーさんの国会演説があったそうで。
先日のうちの日記でも言及しましたけど、ロシア侵攻によるウクライナ難民と併せて「『3・11』の時に避難せざるを得なかった人たち」への共感を盛り込んだのは、日本への解像度高くて感心しました。あのイベントを直接に経験したはずの一部日本人ですら、ほとんど何も考えずに「さっさと逃げればいい」とか言っていたことを考えると彼ら彼女らよりずっと日本の事をよく解っているよね。

世界市場の大荒れは、食料輸入に依存する全ての国に問題をもたらしている。環境面と食料面の挑戦は、過去に例のない水準だ。重要なことは、現在、戦争を起こすことで強力な罰が生じ、戦争は始めるべきではない、平和を破壊すべきでないということを、地球上の全ての侵略者、明らかな侵略者にも潜在的侵略者にも、確信させられるかどうかにある。責任ある国家が平和保護のために団結することは、完全に論理的で正しいことである。

ゼレンシキー宇大統領の日本の国会での演説全文

個人的なハイライトとしてはこの部分かなあ。
本邦でも「世界平和を!」と素朴に訴える人たちは少なくありませんけども、その答えの一つだよね。
「重要なことは、現在、戦争を起こすことで強力な罰が生じ、戦争は始めるべきではない、平和を破壊すべきでないということを、地球上の全ての侵略者、明らかな侵略者にも潜在的侵略者にも、確信させられるかどうかにある」
まぁそれを『国連』が担ってくれることを期待されていたんですけども、まぁご覧の通り失敗した。
過去にはアメリカを止められなかったし、
現在ではロシアを止めることができていないし、
ということは未来にはおそらくまた別の常任理事国の際も同様に……。
それが実現するかと言うとやっぱり可能性は高くないとマジレスせざるをえませんけども、しかし、「なぜ彼はロシアの侵攻を止める外交努力をしなかったのか*1」とか言い出すよりはずっと誠実でしょう。
リベラルな国際秩序による戦争抑止。
ロシアによる侵略戦争を止めることはやっぱりできなかったものの、しかし今回の件を反省として活かすことはできる。
ゼレンスキーが今回の演説で、「新しい機構を創設しなければならない。新しい保証を。あらゆる侵略に対して予防的かつ強力に機能する保証だ」と言っていたのは、つまるところ日本の役割として期待しているのはそういうことでしょう。


まぁそれが失敗したら、既に気の早い人たちが気炎を揚げているように好きなだけ核共有の話でもすればいいんじゃないかな。
ミアシャイマー先生なんかが言っていたように、リアリズムの立場から最終的に「核兵器による均衡が平和をもたらす!」にまで行きつく競争論理には確かに一理あるわけですよ。
それこそ現在私たちが身も蓋もなく現実の光景として目にしているように、プーチン核兵器アメリカとヨーロッパを脅すことで世界大戦を抑止しているのだから。
まぁ確かにそれはそれで歪ながらも一つの平和の形ではありますよね。
しかしそれは理想主義の欠片もない寒い時代の論理そのものでもある。


曲がりなりにも平和国家を自称する日本としてはやはり前者を追求すべきじゃないかなとは僕も思いますけど。。
でも一方で、単純に核保有を夢見る無邪気なネトウヨだけでなく、「ロシアの懸念にも一理ある」という19世紀な論理を信じている人たちもそこそこいるわけで……。


ゼレンスキーさんから演説された私たちはどちらを選ぶことに、あるいは選ばざるを得なくなるのでしょうね。
みなさんはいかがお考えでしょうか?