あってよかった適切な市場主義

「速報性」が奪われて以来続くジャーナリストの苦難、のお話。


/ WSJ日本版 - jp.WSJ.com - Wsj.com
http://sankei.jp.msn.com/world/america/100825/amr1008252124012-n1.htm

 「エッセー集」との皮肉は、ニューズウィークが昨年行った誌面改革に向けられている。広告収入、発行部数ともに低落を続けるなか、「もはや横並びで単純な生ニュースの取材は行わない」と宣言。分析や評論に編集の重点を移した高級誌を目指した。
 インターネットが登場し、速報性では“お呼び”ではなくなった雑誌メディアの今後を模索する実験として、業界から一定の関心を集めもしたこの改革は、現実には低落傾向に歯止めをかけられなかった。

http://sankei.jp.msn.com/world/america/100825/amr1008252124012-n1.htm

なんというかバッサリですね。まぁ確かにニューズウィークの評判はあんまりよろしくないけども。
私も結構この日記で引用しています。あれです、適度に隙があって逆ポジし易いというか、ネタ的に面白いというか。ほら、例えばエコノミストとかだとかっちりしすぎて隙がなさすぎて辛い。いやまぁその気の抜けた感じが日記のネタとして書きやすいからなんですが、しかしそれも程度の問題ではあるでしょう。
個人的には偏差*1を読みやすいので、それでも日本の新聞よりはマシではあります。一定のラグ前提にやってるネトゲな感じ。



さて置き、引用先にもありますけど、結局の所、これからはもうどこが出版しているということよりも「誰が」書いているかという事がより重要視されていくんでしょう。週刊誌ではそれが特に顕著であると。それは逆の意味でも確かに言えて、ニューズウィークだけじゃなくてWPとかWSJにだって各々が個人的にどうしようもないなと思う書き手は幾らでも居る。
最近良く見るWSJのマイケル・オースリンみたいなシンクタンクの専門家のお話は実際面白いし、その意味では個人的には別に「エッセー集」も嫌いではないんですよね。それが学者や専門家の話であるなら。それは確かに彼らの専門的な知見や所見の一つであるから。
でもそれが行き着く先は、それなら「ジャーナリスト」って要らないよね、っていう話になってしまう。ということで優秀な編集者を求めるニューズウィークの苦難の話に戻ると。


少なくともアメリカ雑誌事業ではそうやって競争原理による、商品・サービスの向上が図られている、少なくとも図ろうとしている。とてもいいことです。で、日本はどうなの?というお話に。
そんな記事を取り上げてる割に、しかし産経の他人事感はすごいというかなんというか。