「適当さ」と、それが生み出す個性と

人間の脳の限界とその利点、そして故に必然的に発生する私たちそれぞれ個性について。


http://wiredvision.jp/news/201102/2011021821.html
すごく面白いお話。僕も大好きな行動経済学なお話。

人間の意識は、一度に2つか3つの思考しか処理できない。したがって意識はつねに、複数の物事をまとめて「かたまり」にし、複雑な世界を少しだけ扱いやすいものに変えようとする。自分の使うお金を1ドルずつ数えて判断するのではなく、例えばホテルの宿泊費など、個々の使い道カテゴリーに分けて考える。われわれが、本当に得になるのか分からない近道に飛びつくのは、われわれの計算能力が、それ以外の考え方を可能にするほど優れていないためなのだ。

http://wiredvision.jp/news/201102/2011021821.html

特に面白かったのはこの部分。欠点のように語られていますけども、むしろこれこそが、人間の思考とその個性を生み出す根源なんだろうなぁと思います。そして更にはこれこそが、私たち人間の脳がコンピュータのそれよりも優れている点であると。


『n体問題』*1などにあるように、その相互作用の力点が少なければ少ないほど、確かに答えの幅は一点に集束していくんでしょう。数学ではたったの三体以上になると早々にお手上げなのに、しかし私たちは常により複雑な世界に生きていて、おそらくその潜在的な考慮範囲には一桁では到底足りない程の様々な判断基準と価値基準を持っている。無数の判断基準を私たちは曖昧な総体として扱うことによって「何となく」で乗り切っている。
まぁそれってすごい能力です。でも故に人の思想は千差万別に分かれてしまうんでしょう。私たちはそんな無数の個からなる全体像を見ているが故に、時にまったく別の結論に至ることになる。そして「人は理解しあえない」と。私たちは最終的に同じものを見ているようで、実はよく見たらその無数の構成要素からなる総体を見ているに過ぎないから。


逆に言えばそうした能力があるからこそ、コンピュータのプログラムのように複雑な世界でもフリーズしてしまうことなく生きていけるんですよね。だから人間にとっては『フレーム問題』*2なんて目じゃない。それを解決したとかそういう話ではなくて、無かった事にできる。私たちは自らの欠点をうまく利用した良い意味での「適当さ」があるから。
そう考ええるといつか生まれるであろう人間に近い人工知能って、それが上手く機能していればしているほど、個体差が生まれるんだろうなぁと妄想したりします。だってその個性を生み出す適当さこそが、無限に複雑な世界で生きる私たちが上手く生きる方法であるから。

*1:古典的な多体問題としては、太陽系のような恒星と惑星が、万有引力で相互作用し合う場合の惑星運行の問題が挙げられる。太陽と地球のような二体問題は厳密に解けるが、例えば月の運動も考える一般の三体問題以上になると解析的に解くことはできないとされる。多体問題 - Wikipedia

*2:人工知能における重要な難問の一つで、有限の情報処理能力しかないロボットには、現実に起こりうる問題全てに対処することができないことを示すものである。フレーム問題 - Wikipedia