真の敵は裏切り者である

裏切りの効能、あるいは「何故愛と憎しみは紙一重なのか?」なお話。


http://www.47news.jp/CN/201102/CN2011020501000695.html
こういう人を見るたびに「活動家の内ゲバってこええ」って思いますよね。でもそれって特別に左派がヤバイわけでもあるいは右派が温いわけでもない。結局の所、こうした構図で重要なのは「自分が信じていた価値観を裏切った奴が許せない」という感情であって、だから自らの信念を強く信じていればいるほど逆に裏切られた時の怒りはより激しい物になる。それは皮肉にも本来の敵だったはずの敵対側の相手以上に、一度は自分たちと価値観を同じにしながらも裏切った相手にこそ、その真の怒りは爆発する。
古今東西の社会において「裏切り者」や「売国奴」などの言葉が最も強い非難の一つとされてきたのは伊達ではない。
だからこの構図でいえば彼女たちのしでかした大量のリンチが証明しているのは彼女たちの残酷さなどではなくて、彼女達がどれだけ強くその内にあった価値観を確信していたか、という点だと思うんです。それこそ妄執と言ってもいいほどに。それは愛ゆえに。まさに狂気として。


でもぶっちゃけそっちの方がおっそろしいですよね。単純に暴力性や残酷性の発露だったら、私たちとは遠く離れた異質な一つとして遠ざけていられたものの、しかし彼女達が至ったのはそうではない「愛の強さ」故にあんな凄惨な事件に至ったという点こそが。もしかしたら私たちも踏み込んでしまったかもしれない領域を見て。
だから別にそれはよく言われる左派特有の病理というわけでは絶対にない。例えば宗教右派や民族右派と呼ばれるようなそれにしても、彼らはベクトルが全く逆向きであるというだけで、やっぱりその最初のゼロ地点から離れれば離れるほど、裏切りに対する怒りの感情は大きくなりそして同様の地平にまで至る。
そんな怒りはある程度までいくと「(自分たちの信じていた価値観を)裏切るなんて人間として間違っている」というレベルにまで昇華する。現実的判断や妥協しようとする人に対して「(こんなに重要なものを途中で投げ出すなんて)お前のような卑屈な奴は軽蔑するし、同じ人間の行いとは思えない」と。彼らはその裏切り者を人間として見なくなるからこそ残酷な行為を可能とする。普段の暴力性や残酷さの表れではなく。過酷な戦場の兵士たちや、あるいは社会に稀に生まれる大量殺人鬼のような人たちのように、彼らはその途中の心理的プロセスは全く違っていても、しかし最終的に三者三様の人びとはその行為のために似たような、そして最も効率的な視点へと到達することになる。
一人は怒り故に、一人は自己防衛のために、一人は病理故に。
つまり「あいつらは人間ではない」と。