切り札を使うタイミング

批判されまくってる東電の賠償と電気料値上げのお話。


東電の賠償、電気料値上げで…政府・民主容認へ : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
えーまぁ電気料の値上げ自体は元々想定されていたお話ではありますよね。で、疑問なのは何故わざわざ「賠償」なんて名目にして今前面に出してきたのか、という点。そんなことしたらものすごい勢いで非難されるのは目に見えているのに。責任逃れだとか、国民に負担を転嫁しているとか。


しかしそれでも、需要抑制という視点においては「価格調整」こそは常に『たった一つのさえたやり方』なわけでもありまして。
石油等の燃料資源でも水資源でもそして電力においても、長期的に見てそれは唯一の正解であるから。少し前の私たち日本のような「節電しようぜ!」と訴える精神論的なキャンペーンも短期的には効果をあげるんだけれども、しかし長期的にはやっぱり通用しない。
よく「省エネ」とか「エコな社会」をお題目に掲げてそれを推進しようと訴える人たちがいらっしゃいますけど、でもそれを訴えるだけではほとんど意味がないんですよね。究極的に、私たちが真にその効率的利用に目覚めるのはいつだって「価格調整」された時なのだから。
私たちは安ければ安いほど無駄に浪費する傾向にあるし、そして逆に、高くなれば高くなるほど節約しようと(誰に言われるまでもなく)そう振る舞うようになる。


その意味において、やっぱり「電気料値上げ」は今後訪れるであろう夏場の電力需要増大による致命的な危機を回避する為の、最も効果的な手段なんです。なのに何でそんな重要なカードをこんな所で切っちゃうかなぁ、と。そんなことしたら本当に必要な時に使わなければならないジョーカーが使いにくくなってしまうのに。
まさか「需要抑制」よりも「賠償」を名目に立てるほうが批判が少ないとでも思ったのだろうか。


今回の件に関して不謹慎とか不誠実だとかいう非難よりも、その重要な手段を用いる為のハードルを無駄に上げてしまった、という一点においてのみ、ものすごい馬鹿だなぁと個人的には思うわけであります。
一体なんで大事な切り札をこんな所で使ってしまったのだろうか? 
夏場の電力需要を抑える自信があるからなのか?
それとも本気で何も考えていないのか?


等々疑問は尽きませんが、みなさまはいかがお考えでしょうか?