『誠意』を要求する人たち

昨日のドイツさんちの電力日記書いててなんとなく思った、翻って日本は……、なお話。


東電恫喝!「値上げ拒否なら電気止めるぞ。嫌なら他から買え」 : J-CASTテレビウォッチ
痛いニュース(ノ∀`) : "リストラしないしボーナスは出す"の東電、「値上げ拒否なら電気止める。嫌なら他で買え」…5月には数十万の企業が停電に? - ライブドアブログ
わー東電さんボロクソに言われとるでー。


まぁ実際のところ、多くの人が(ついでに言うと新聞報道*1でさえも)また同時に指摘してもいますけど、別に日本の電気料金は海外のそれと較べて特別に高いということもないし*2、その電気料金における人件費の割合はまぁせいぜい一割程度にしかならないのでそれを削減したところで実質的に一体何の意味があるのか、と聞かれると困ってしまいますよね。勿論その幅が多少小さくなる、という点は否定できませんけど、でもやっぱり値上げ自体はほぼ規定路線なわけで。韓国のように赤字を押し付け税金で補填してでも安くするべきだ*3、という所まで仰るのでしたらそれはそれで一つの意見だとは思いますけど。
そもそも震災以前においても、日本の電力各社の価格差は電源構成――ほぼ管内の原発の数――で高低が決まっていたわけだし。もし原発が全て止まると、これまで最も電気料金が高かった(原発が一基も無く、そして東電と較べてちょうど二割程度高かった)沖縄並みになりますよ、と言われてもまぁそれは極当たり前の結論としてそうだろうなぁと納得するしかありません。


その意味で、先日の日記でも少し触れましたけど、東電のリストラやボーナスカットが進まないと怒る人たちは、そうした実質的な意味ではなくてより象徴としての『誠意』を求めているんだろうなぁと。
政治家たちが増税のお願いをする時に、実際にほとんど意味が無いにも関わらず、しかし自らの給料を減らすことで誠意を示して見せている、という暗黙の了解による茶番。国政だけでなく地方の首長・あるいは企業のトップにおいてもしばしば見られる構図ではありますよね。不祥事があったら、とりあえず給料は返上します的な。いわゆる日本的光景と言ってしまえばその通りです。
べつにそんなことをやった所で何の解決にも保障にもならないのに。
しかし私たちはそれをある種の『儀式』として日常的に受け入れ、そんな帰結として今回も当たり前のこととして同様のことを要求している。「誠意を見せてみろ」なんて。粛々と進めるのではなく、解りやすく目に見える形で何か苦しんでいるように見えなければ反省の色がないとして怒り狂ってしまう人たち。やっぱり結構よくあるお話ではありますので、その点においては東電の皆さんは戦略をミスっているなぁとは少し思ったりします。
どちらにしても、なんというか大変気の抜けるお話だなぁと。


さて置き、ボロカスに言われている東電社員の皆さまではありますけど、もちろん厳然たる事実としてその責任を果たさなくてはいけない少数の人たちが居る一方で、しかし実際のところその多くの社員にとってはぶっちゃけ直接に責任を取れと言われても結構困ってしまうお話ではありますよね。しかしそれでも十把一絡げとして「東電社員だ!」として批判されてしまう構図には、なんというかご愁傷様ですとしか言いようがありません。
普段だとここで、それこそヘイトクライム的な言説がまかり通っているこうした事態において、何故かこうした偏見に積極的にNOを叫んでいるはずの『意識の高い』人たちが全然声を上げてくれないのは、つまりそういうことなんだろうなぁと暖かい気持ちになります。
うん、まぁ、他人事なら人は幾らでも冷静になれるものだしね。