格差に魂を縛られた人びと

以前書いた時*1にも思ったんですけど、つまり彼って理想主義者であり熱い人なんだろうなぁと。あるいはニュータイプな人びととオールドタイプな人びとの確執っぽいお話。


ホリエモン曰く、格差問題の根本は「ねたみやひがみ」である : J-CAST会社ウォッチ

大半の人は、格差問題というと経済格差、つまりカネの問題を真っ先に思い浮かべてしまう。それもたいていの場合、自分が経済格差の下にいる人間だと思って、経済格差を憎む。
「オレはビンボーなのに、オレより劣っているはずのアイツが何で金持ちなんだ!」
「あんなに稼いでいるヤツは、きっと悪いことをして稼いでいるに違いない!」
そんな風に、嫉妬心に火がついてしまうのだ。
金持ち批判をしたり、成り上がりの人間を「拝金主義だ」と批判したりする人たちは、あることに気がついていない。それは、自分たちの方こそ、カネのことしか考えていないということだ。
自分のカネのことが、心配で心配で仕方がない。だから、金持ちを批判する。そういう人を見ると、「カネのこと、少しは忘れろよ」と言いたくなってしまう――
堀江貴文著『格差の壁をぶっ壊す!』宝島社新書、12〜13頁)

ホリエモン曰く、格差問題の根本は「ねたみやひがみ」である : J-CAST会社ウォッチ

いやまぁ確かにその通りなんですけど、だからってそれを言った所でどうにかなるのか? と言われれば結局の所どうにもならないですよね。
別にそれは諦めているとかそういう次元の話でさえなくて、人間ってそういうものだから。確かにそうした嫉妬心から解放された方が人生を生きやすいのは確実なんだろうけども、しかしだからといって、「正しい」からといって、誰にでもできるかというとそうではない。
嫉妬はキリスト教的に『七つの大罪』の一つなんて言われたりしますけど、それって人類が逃れようとも逃れられないからこそ、人間が大罪を犯しうる負の感情や欲望であるとされたわけで。そして逆説的に、嫉妬は向上心の裏返しであるし、怠惰は効率化の裏返しであるし、傲慢は自信の裏返し等々でもあるのだから。
そうした感情を持つことは間違っていると言うことは簡単なんだけども、しかしそれって『格差の壁をぶっ壊す!』ではなくて『人間の壁をぶっ壊す!』ですよね。人類は進化すべきであると。まるでどっかの啓蒙家か宗教家のようです。
だからその「格差を気にしないで生きるべきだ!」のガッカリ感は「重力に魂を縛られずに生きるべきだ!」に近い。故に空回っていると思うんです。


とまぁ以前も書きましたけど、こんなことはアダム・スミス大先生が200年前から言っていたわけであります。

「富者の豊かさは、貧者の怒りをかきたて、彼らは欠乏に駆られ、同時に、妬みにそそのかされて、しばしば、富者の所有物を侵すにいたる」

地獄とは所得の格差なり - maukitiの日記

と。
だからこそ、近代以降、『経済格差問題』というものは常に国内政治問題の最前線にあり続けたわけで。国家にとってそれはどうしても避けられない宿痾でさえあった。もう各国歴代の政治家たちは数百年以上その問題と戦ってきた。根本的に解決しようと共産主義なんてものを実験して壮大に失敗したりもした。しかしそれでも一向に解決できないわけで。
この問題を根本的に解決できる居るとしたら、多分それは人類史に残る偉業となるでしょう。
だからと言って「こうした違いは、いい意味で捉え直せば「差別化」だし、あるいは「個性」と言えるようなものかもしれない」で納得できるなら誰も苦労はしていないわけですけど。いや、確かに正論なんですけどね?
戦争は人間全てが平和を望めば無くせるのだ! というご高説を聞いている気分です。
でももし政治家がこんなこと言ったら有権者に全力で殴られるレベルですよ。