水戦争へと至る道

共有地の悲劇*1を避ける為のたったひとつのさえたやりかた。


水資源不足と人口急増、世界食料危機に直面 国連 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

 報告書は、生態系を総合的に管理するよりよいガバナンス、いいかえると、政府と農家、都市生活者、専門家が1つになって、環境で必要な水量のバランスを取ることが重要だと述べた。

 そのためにも、自然資源の価値を金額に換算することで、農家と消費者たちが自然保護の必要性をよりよく理解することができるようになると提案。世界の湿地帯の経済価値を700億ドル(約5兆4000億円)と見積もり、そのうち52億5000万ドル(約4000億円)がアフリカにあり、371億ドル(約2兆8000億円)がアジアにあると換算した。(c)AFP

水資源不足と人口急増、世界食料危機に直面 国連 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

へーという感じですよね。へー。「自然資源の価値を金額に換算する」そうですけど、それって逆の結果をもたらすんじゃね? と素人考えでは思いますけどどうなんでしょうか。明示的な金額設定なんてしてしまったらそれこそ我先にと使いまくるんじゃないのかと。


まぁ昔から言われてきた話ではあるんですよね。つまるところ「何故共有地は悲劇的な結末を迎えるのか?」に対する答えとして、その排他的な権利(所有権や独占権)が認められていない共有資源は、しばしば、搾取や過剰使用を引き起こすことになるのだと。そこではそれぞれの使用者たちの「荒廃を避ける誘因」が決定的に欠けている。当たり前ですよね。自分が我慢してその水を使わなかったら、他の誰かがそうするだけなのだから。
水資源や海産物資源など、共有資源でよく見られる『共有地の悲劇』の原因は、その誰も所有権を持っていないところにあるわけです。
よく「みんなのものだから大切にしよう」と言われることがありますけど、しかし経済学に倣うならば、その大切にされない原因は『みんなのもの』という所にこそあることになる。逆説的に『みんなのもの』はあまり大切にされない事を、私たちは経験的に自覚しているからこそ「みんなのものだから大切にしよう」と口を酸っぱくして教えられているんでしょう。


だからこそ、今回の国連の報告書では「自然資源の価値を金額に換算する」なんて微妙にヌルいことを言うしかないんでしょう。おそらく彼らだってこんな経済学の初歩の話なんて当然解っているはずなんです。共有地の悲劇を防ぐには排他的な所有権を設定するのがもっとも効果的であり、そしてそれ以外にはほとんど解決策はないと。それが国家政府の執行範囲であるならばそれで解決できるんでしょう。
しかしそれがもし、国家間を流れる川だったら? 国家間に横たわる湖だったら? 国家間に広がる湿地帯だったら?
国家同士の所有権を巡っての争い。そりゃーもう最終的に行き着く先はアレしかありませんよね。しかしそんなこと当然言えない。「今度は戦争だー!」なんて言えるわけがない。


私たちの世界がこうした制約の中にあると考えるならば、「自然資源の価値を金額に換算する」はまぁそこそこバランスの取れた提言だというのは確かにできる。『プライスレス』だったものを明確な数字へと還元することで、やはり正しく分配も可能となるだろうから。しかしやっぱり最初に言ったように、同時にそれは「自分たちが失ったもの(相手に譲ったもの)」を数字として明示してしまうことにもなるんですけど。
その構図において一体私たちはどちらを強く数える事になるのでしょうか。自分たちが守るべきものとして数えることになるのか、それとも失ったものを数えることになるのか。


ぜんしゃだったらそれはとってもうれしいなって。

*1:多数者が利用できる共有資源が乱獲されることによって資源の枯渇を招いてしまうという経済学における法則。コモンズの悲劇 - Wikipedia