ビルマのもめごと

東端西端交互に見て―。今日の日記のかなりの部分はこれが言いたかっただけです。


仏教徒とイスラム教徒の衝突相次ぐ、ミャンマー西部の州に非常事態宣言 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
ミャンマー西部州の衝突、国連が職員退避を開始 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News
ということで折角スーチーさん云々と盛り上がりはじめたミャンマーさんちではありますけど、東に西に大変そうです。東はカレンさんで、西はロヒンギャさん。いやほんともう多民族国家って大変だよなぁと他人事ながら思ってしまいます。しかもどちらも分離独立運動絡み。そりゃミャンマーさんちも元々国内が上手くいっていればそもそも軍事政権なんて必要なかったわけで。いやぁ『境界線』の国って大変ですよね。
つまるところ、今回ニュースとなった国連職員の退避のお話からも解るように、元々国際社会が気にし続けてきたビルマミャンマーにおける最重要の問題といえばこうした民族対立(それに伴う人権蹂躙)であるのでした。軍事政権はその弾圧によって、カレンは東隣のタイへと追い出し、ロヒンギャは西隣のバングラディッシュへと追い出した。じゃあ何でそもそも一緒に国なんてはじめちゃったんだといえば、かつての欧米列強の植民地国境線が〜といういつものパターンなので以下略。
それもこれもイスラエルさんちやエジプトさんちと同じく、多分に『大英帝国の素晴らしき(分断統治による)負の遺産』だと言ってしまっては身も蓋もありませんが。


こうしたお話からするとまぁぶっちゃけスーチーさん監禁のお話は末節に過ぎないとも言えてしまうんですよね、ニュースの絵として映えるのは確実にこちらですけども。ちなみに今彼女は外遊して熱心に「援助」のお願いをしていますけども、かつて軍事政権時代には「お前らが援助するから軍事政権が生き長らえてしまうんだ」なんて仰ってもいたのでした。なんというか皮肉なお話ですよね。


そうした少数民族を一つにまとめミャンマーという国家を作り出したスーチー父の功績と、そしてその国家の歪みを一身に引き受けた軍事政権と、そして現在それらをまとめて解放しようとするスーチーさん。いやぁ歴史って面白いですよね。一体どうやって国をまとめていくんでしょうね。宗教と民族と言語のそれぞれが、見事に多数派と複数の少数派たちに分かれている彼らを。別に軍事独裁政権を正当化するつもりもありませんけども、しかし他に選択肢が無かったからこそ、という面はやっぱりそれなりにあったわけだし。
キルギスに見る「歴史上のよくある不幸」 - maukitiの日記
その意味で、以前にもキルギスのお話で書いたようにやっぱりミャンマーは地獄のフタを開けかけているのかなぁとも思ってしまいます。独裁による『偽りの平穏』を壊した先にあるもの。現在進行形であるリビアやエジプト、そしてシリアまで。ファリード・ザカリア先生はこうした構図について『民主主義の未来』の中で身も蓋もなく述べていらっしゃいます。「民族対立のある所に中途半端に民主主義が出てくると戦争になる」のだ、と。


がんばれミャンマー