勤労意識の裏表

ただ単に「弱者に冷たい」とか「想像力がないからだ」というよりは、こちらの方が筋はいいんじゃないでしょうか。


生活保護受給者がiPhoneを使うのは許される? -週プレNEWS
なんてゲスいニュースでしょう。おわり。でもそれだけじゃ寂しいので以下適当に。

「牛丼並盛に生卵を付けるのはNG」「iPhoneは言語道断」など、世の中の人々が何を「生活保護費で買ってもいい」と考えているか、実に生々しい結果が出た。しかし、実際の生活保護制度では、もう少し柔軟に各種生活必需品の購入が認められている。

生活保護受給者がiPhoneを使うのは許される? -週プレNEWS

めんどくさいお話ではありますよね。構図的にはオバマさんがやっていたアメリカでの医療保険改革での騒動近いでしょうか。あるいはドイツのギリシャへの冷淡な態度とか。そして日本人の生活保護等の社会保障に対する冷淡な態度であると。
逆説的にこうした態度が証明しているのは、『国民性』と呼ばれるような高い勤労意識の賜物であるのでしょう。「きちんとマジメに働く事」こそが美徳であると考える社会の人たち。まぁ確かにそれはポジティブな面としては解り易いですけども、しかしネガティブな面としてもこうして発露してしまう。
働かない奴は人間未満なのでそれを甘受すべきである、なんて。美徳と悪徳は表裏一体なのだと。


もちろん『国民性』という曖昧な(幻想の)概念によって定義されているから仕方ない、といって諦めていい話ではないのは当然であります。弱者の保護について、適切な制度の構築をしていくことは私たちの義務でもあるのでしょう。
それでも、上記「ゲスなことを言っている」皆さまのように、半ば本能的に反発してしまう感情を抑えることも出来ないと思うんですよね。
だってそれが私たちの伝統的な文化・社会・宗教なんだから。ぶっちゃけそんな日本の勤労意識の伝統といっても、しばしば指摘されているように明治以降に生まれた比較的新しい伝統ではあるんです。あの当時に、先進技術と共に思想も欧米から導入され富国強兵とともに取り入れられたのだと。しかしそれも150年弱――五~六世代続けば立派に伝統の一つと言っていいのかもしれません。でもその伝統の長さでいえば、アメリカのそれは250年位だし、ドイツも150年位なのでどこの国も大差は無い気もします。


かくして「人は善く働くべきだ」というドグマに囚われている私たち。それは良い面もあれば、こうして悪い面も必ずあるのだと。実の所古き良き『アメリカンドリーム』なんてその典型ですよね。
現在のアメリカやドイツでも、こうした伝統的な保守思想とそして新たな「そうではない」思想とがぶつかりあって、社会的な摩擦(と差別意識)を生んでいるのでした。黒人や移民たちが怠惰だから我が国の社会保障を圧迫しているのだ、なんて。故にメルケルさんの「怠惰なギリシャを救うことには絶対にナインだ!」というのはかなりドイツ国民から支持されてもいると。私たち日本ではそうした内部の葛藤がないだけ幸せなのかもしれませんし、むしろバランスが働かないだけ不幸なのかもしれません。
最近の生活保護関連の議論でも出てきたように、日本におけるその捕捉率が低いのも根本的にはこうした辺りに原因があるのかなぁと思ったりします。


まぁどちらにしてもやっぱりそれは100%全て正しいとも間違っているとも言えませんよね。
ミクロな個人としては当然差異はあるのだろうけども、しかしマクロな総体としては確実にあるだろう勤労意識という伝統の有無について。それは別にどちらが良いとか悪いとかではなくて、社会保障の適正規模、という議論において影響を与えないわけがないんだろうなぁと考える次第であります。
みなさんはいかがお考えでしょうか?