「テロとの戦い」でこそ団結する人びと

先日の日記でも少し書いたお話。アメリカの人びとの「テロとの戦い」というある種の熱狂。



米国は人種のるつぼでいられるか - WSJ
まぁ結構以前から言われているお話ではありますよね、中核となるアイデンティティ・絆が失われつつあるアメリカ。今後一体何をして「一つのアメリカ」たらんとすればいいのか? まぁだからこそ伝統的なアメリカ文化――小さな政府や銃武装の権利などがより燃えやすくなっても居るわけですけど。

 米国勢局によれば、2000―10年の間に白人の人口比率は69%から64%に低下し、その間の人口増の半分以上はヒスパニックで占められた。ヒスパニック人口は同時期に43%増加している。

 一方、大きな社会的変化を受けて、人々を束ねていたきずなの中に緩みが出てきた。例えば、第2次大戦や冷戦時代の初期の世代は徴兵を経験しており、それがあらゆる人種や社会階層の男性間に共通のきずなをつくり上げ、相互理解をもたらした。しかし現在は、軍役に就いている者はごくわずかで、しかも志願制になっている。退役軍人は1980年の2850万人から2150万人に減少している。

 それほど遠くない昔に、3大テレビネットワークによってほとんどの米国人が文化的経験を共有する時代があった。いまでは、エンターテインメントとニュースの両方でニッチ化したメディアがあふれ、狭い領域の中で外と交流することなく満足できるようになった。

 宗教も米国人を結束させるものではなくなっている。1990―2008年の間に自らをキリスト教徒とする人は15%増加した。これに対し、全体への比率としてはごくわずかだが、イスラム教徒は155%、仏教徒もほぼ3倍増加した。その一方で、世論調査機関ピュー・リサーチ・カウンシルによれば、特定の宗教を信仰していないとする米国人は、人口のほぼ20%を占めている。これら20%の人は必ずしも信仰心がないというわけではないが、宗教団体のコミュニティーの一員として結束する経験を持っていないことを意味している。

 こうした社会的な変化は、特に今回のようなテロ事件が発生すると、多くの米国人を怯えさせる。重要なのは、これらの人々に多元主義社会のメリットを思い出してもらうことだ。

米国は人種のるつぼでいられるか - WSJ

もちろんこうした事も言えるんでしょう。『9・11』以後イスラム排斥という形で、実際それなりにあったわけだし。テロによってアメリカの多元主義社会が傷つけられてしまう。


――しかし一方で、それとは逆のことも言えるんじゃないかとも思うんです。そんなテロこそが逆に、市民社会の統合の役割も果たしているんじゃないかと。
人種・宗教・文化・戦争など、人びとを結束させる共通の何かが失われつつある中にあって、しかし「テロとの戦い」は解りやすく共通の『絆』を生み出してもいる。
ボストン事件後の「魔女狩り」、ソーシャルニュースが謝罪 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
まとめよう、あつまろう - Togetter
CNN.co.jp ボストン爆破テロ容疑者拘束で住民から歓声
上記、(おそらく善意から)犯人を見つけようとネットで魔女狩りをする普通の人々から、そしてテロ捜査に積極的に協力する人たちまで。ニッチ化したメディアの一方で、今回の事件でのCNNなどの特別実況番組は見事に高視聴率を叩き出していた*1
他の民主国家と同じく政治や公共問題への関心低下が嘆かれるアメリカにあって、しかしこの「テロとの戦い」という構図はそれを無理のない形で「絆」を生み出しているんじゃないかと。そんな戦いこそが、市民社会の善き一員の使命であると言わんばかりに。
この辺は日本の災害に際しての振る舞い――特に震災に際しての振る舞いに近いものがあるのかなぁと。誰もが他人事ではないと正しく認識している故に、その普遍性故に、その危機に際した社会は解りやすく一致団結することになる。


もちろん今回のボストン――そしてヨーロッパでよく見られた『ホームグロウンテロ』ではなく、9・11の様に外部からのテロリストの進入によるテロだという認識、という違いはあるのかもしれません。将来的にアメリカでも、前者が一般的となることでヨーロッパが抱える多元社会のジレンマに直面するようになるかもしれない。
ただそれでも、アメリカ的な無邪気さや、正義や安全に対する考え方・信仰といったものが、こうした「テロとの戦い」では親和性が高いのではないかとも思うんですよね。
腐敗しカネまみれの国内政治や、あるいはアメリカに根付く社会問題である格差・人種・宗教・言語の諸問題よりも、ずっと解りやすい構図――まぁ深く掘り下げようとするとヨーロッパでもあるように実際にはすごくメンドくさい問題なんですけど――だからこそ、彼らはそんな「テロとの戦い」により夢中になる。


もちろんそれは上記のように「魔女狩り」やあるいは「イスラム排斥」のような暴走を招くこともある。ただそれでも、結果的に彼らはこの非常時にあって、現代では稀となった市民社会の一体感を抱いているように見えるんですよね。
かつての時代にあったような、最早ただの戦争で得られなくなった、その『正義』が(少なくとも彼らにとって)はっきり見えているから。故に普段の敵味方を越えたところで団結できる。
テロは多元主義社会を傷つけていると同時にまた、アメリカという社会にとってより結束を強める効果にもなっているのではないかなぁと今回の一連の事件を見ていて思ったりしました。あくまで個人のイメージですけども。