せいりてきにむり!

自分も二人居るのでよくわかります。



近親相姦の「不当な賛美」って何? 「不健全」漫画指定:朝日新聞デジタル
ということで「不健全指定」のお話から派生しての、根本的な近親相姦是非のお話が盛り上がってたそうで。
そもそもどうして近親相姦は「よくないこと」なの?
一行でそんなそもそも論に解答しようとすれば「生理的に無理が多数派だったから」という身も蓋もないお話にはなってしまうんですよね。
つまり、まずニンゲンが根本的に生物として「近親相姦だいすき!」だったのかというと、全く逆なのであります。この辺はフロイト先生の『トーテムとタブー』にあるような、本能のままに生きる動物ってそういう歪んだ欲望があるよねぇでもそこを克服したホサピエンスはマジ特別なんだよね論がかつてはそこそこ根強かったわけですが、ロビン・フォックス先生が主張するように実際にはそれとはまったく逆で、現在での主流なお話としては「人間に限らず動物自体そもそも近親相姦を好んでやるのはあまり多くない」という所なんですよね。
結局のところ、動物も原始人も――そして私たち人間も、根本的に近親相姦は好まない*1。まずそうした嫌悪感があって、その後に私たち人間は後付けの社会規範として『文化』を形成したのです。その禁忌を守らせるという目的は共通なものの、手段としての文化の形態は社会によって非常に多様なものとなっている。
個人的にはそんな生理的嫌悪がまずあって、その上に例えばレヴィ=ストロース先生の言う族外婚推奨のような『社会規範』が乗っているのではないかと思います。若い男と女の接触を制限する、という普遍的な社会規範との融合。
インセスト・タブー - Wikipedia
まぁこの辺のお話は昨日今日始まったわけでもなく、議論が色々あってwikipedia読むだけでも大分時間泥棒ではあります。


はてなで話題の「近親相姦問題」、過去記事紹介。/そして再論「ぶっちゃけ同性婚問題とパラレル」。 - QUIET & COLORFUL PLACE- AT I, D.
ともあれ、まぁこの辺は同性愛の議論にあるようにもう一歩踏み込むと『正しい結婚のありかた』や『正しい家族のありかた』や『正しい性のありかた』という領域に入ってしまうんですよね。まさに上記のような「不当な賛美」というのはそういう思考から来ているわけで。彼らはそこに『ノーマル』なものがあり、それが正しいと確信している。
一応は個人的自由を尊重する現代社会でそんなあるべき「正しさ」を定義するのは許されるのか? かといってそこで何も判断せず自由原則を無制限に認めるとなると、近親相姦もやっぱり認めざるを得なくなってくる。やっぱり難しい問題ではあります。だからこそサンデル先生はそこで何が正しいのか『正義』のお話をしようなんておっしゃるわけですけど。


みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:その一例として「幼少期から同一の生活環境で育った相手に対しては、長じてから性的興味を持つ事は少なくなる、とする仮説的な心理現象」ウェスターマーク効果 - Wikipedia