暴力を望む人たち

その不都合な真実に怯え立ち竦む人びと。


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欧州に忍び寄るイスラム国の脅威 「聖戦地」に少年、少女が結集~北欧・福祉社会の光と影(50)(1/6) | JBpress(日本ビジネスプレス)
『9・11』後にもあったイスラモフォビアが、再び素朴な感情となって復活しつつある欧米の皆さんたちという構図かなぁと。まぁあの頃もそうでしたけど、概ね他人事として見てられる私たち日本はやっぱり幸運なのでしょうね。

 筆者が住む人口10万の中都市でも、シリアに向かった19歳と20歳の兄弟が、シリア西部ホムス郊外で亡くなった。上の息子は戦闘で死んだが、下の子は自爆攻撃だったという。この兄弟の父親がエクスプレッセン紙のインタビューに答えて、「下の子の歯の1本すらも残されていない」と悲痛に語っている*5。

 この父親は、1度シリアまで出向いて息子たちを見つけ出し、説得してスウェーデンに連れ戻したのだが、その後、兄弟は再び現地に赴いたようだ。父親は突然、匿名の人物から電話を受け、こう言われたという。「おめでとうございます。あなたの息子ハッサンは殉教しました。彼は軍の前哨基地で自分自身を爆破しました」

 地元紙にも、「ショックすぎる」「彼らはスポーツ好きで、サッカーが上手だった」というクラスメートらの声が載っていた*6。

欧州に忍び寄るイスラム国の脅威 「聖戦地」に少年、少女が結集~北欧・福祉社会の光と影(50)(1/6) | JBpress(日本ビジネスプレス)

しかし、このエピソードは衝撃的ですよね。「息子さんは殉教しました」なんてちゃんと連絡くれるんだ。戦中にあった欧米国家たちの戦死を知らせる風景とあんまり変わらない。




さて置き、実際それまで従来国境を越えた広がりを持つ『汎イスラム国家』なんて、一般論としては*1現実性のない空想の産物でしかなかったわけですよ。ところがイスラム世界の中心部にあったイラクの戦争後にできた力の真空地帯から、その姿を現した。
その地政学上の暗がりから生まれたそれは、潜在的に暴力を望む人たちの強力なシンボルとなってしまった。
まぁ別にイスラム国に限った話ではなく、戦前戦中の欧米や日本でもあった風景ではあります。一度そんなカジュアルな暴力容認の『空気』が社会に生まれてしまうと、その解りやすい暴力的解決手法に魅かれる人たちは、実は結構いる。人間ってほんとうに御し難いね。


少なくとも欧米社会にとって、暴力を信奉するのはかつてのアルカイダのような一部にしかない過激派だという時代とは、一線を画した時代になりつつある、ということなのでしょう。その防衛反応として欧米社会の中に焦りや不信が生まれるようになった。つまり『イスラム国』以前にはなかった、あるいはまだ気づいていなかった事実が明らかになりつつある。
――『暴力』を望む人たちは、実は、結構いた。
以前までは欧米社会に暮らすイスラムといえば、一部過激派による不当な風評被害を被る犠牲者でしかなかった。少なくとも国内外の大多数のイスラムたちは「暴力を望んでいない」と素朴に信じることができていたわけで。しかし実はそうではなかった。ただ前回はそれが表面化する『場所』がなかっただけで、そのハードルが低くなり環境が整うとこうして雨後の筍のようにぽこぽこと各地で生まれてきた。特にその数が多かったのが中東周辺国からであったし、数の桁がまったく違うとはいえ、欧米諸国内部のムスリムも例外ではなかった。




もちろんそれでも尚、暴力を望まない平和的な人びとが圧倒的大多数であることは確実でしょう。しかし、それでも、中東世界にしろ欧米世界にしろ、極小であり例外だと信じていたはずの「暴力を望む人たち」が、実はそれよりもほんの少しだけ――それがどれだけ大きいかは諸説あるとして――多かったという身も蓋もない事実が明らかになりつつある。
隣に居るのが「希望は暴力」とするイスラム聖戦士であるかもしれない、という恐怖が前回よりも少しだけ大きくなって蘇りつつある人びと。ただの例外的なテロリストたちだけじゃなかった。
おそらく長期的な問題となるのは、これがはしかのようなただの一過性に過ぎないモノなのか、それとも仮に『イスラム国』を壊滅させた時行き場を失ったその暴力性はむしろ世界中拡散してしまうのか、まぁぶっちゃけ誰にも分らないという点ですよね。故に彼らは立ち竦むことになる。
――もしかしたら今のように世界の果てで身内同士で戦わせていた方がマシかもしれない、なんて。



みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:もちろん『文明衝突』など有名どころや、先見性や奇抜な作家からは言われていたお話ではありますけど。個人的に思い出すのはあのトムクランシー先生の作品だったり。