それはイスラム国「的」行為である

その意味するところは、つまりギリギリセーフである。


東エルサレムの緊張 | 酒井啓子 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
ということで盛り上がってる地味に大炎上しつつあるイスラエルさんちのお話。宗教の戦いに生きる人々。まぁ昨日の日記でも触れたような間接的なイスラム国と無関係ではないのだろうなぁと。

 ガザでパレスチナ社会を破壊したイスラエルは、次に東エルサレムに刃を向けるのだろうか。自分たちの望む社会を作るために、そこにもともと住んでいた異なる人々を、殺すか追放するか従属を強要するかしか認めない、というやり方は、どこかの「イスラーム国」がやっていることだ。イスラエルのこうした排除政策がやまない限り、「イスラーム国」の行動を批判することは、できないのではないか。

東エルサレムの緊張 | 酒井啓子 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

確かに正論と言えば正論かなぁと。こうした暴挙を見逃す(欧米の)対イスラエル政策は、ぶっちゃけダブルスタンダードではないか、と。
ただまぁ、そんなダブルスタンダードはそれこそ現在進行形としてある中東世界の親欧米な独裁国家――サウジやらバーレーンやら――の弾圧のスルーっぷりや、あるいは東部ウクライナ騒乱における政府軍側の残虐行為のスルーっぷりなんかを見れば、殊更に「イスラエルだけが」あるいは「パレスチナだけが」二重基準による加害者や被害者であるとは言えませんよね。
良くも悪くも世界中にある事例の一つ、というだけ。


一般に、イスラエルを筆頭にした二重基準による利益を得る国々は、まぁ多かれ少なかれ欧米=国際社会の足元を見て、解っていてやっているわけで。外交政策で余計な波風を国内的に立てなくないから妥協したい、というラインの存在を彼らは解っている。確かにもしある一線を越えてしまったら欧米は激怒するかもしれない。逆説的に言えば虐殺行為まで行けばアウトかもしれないけれど虐殺「的」行為ならばセーフである。
一昨日の日記のコメントでも指摘されたお話ではありますが、でもまぁ特に欧米の皆さんがそういう所で妥協したくなる気持ちも解らなくはないんですよね。だって一度その批判を始めてしまったら何らかの結果が出るまで、批判をやめるわけにはいかなくなってしまうから。一度始めてしまったら、何かしらの合意ができるまでやめるわけにはいかないんですよ。ウクライナ危機での対ロシア制裁や、あるいは対『イスラム国』の軍事作戦はまさにそういう性質のものでもあるわけで。故にオバマさんを筆頭に、その行動に踏み切ることに難儀していたわけで。


一度強い批判を始めたらもう止められない。故に始めたくない。できることならそうなる前に(国内向けに)素晴らしい言葉で「合意」したことにしたい。
国際社会=欧米諸国の対イスラエル政策って、まぁずっとこの繰り返しですよね。今回もそうなるのだろうなぁ。


がんばれパレスチナ