転売への怒りが意味するのもの

市場は行列にどこまで優越するか



SUICA売るってレベルじゃねーぞ!」で大騒ぎだった東京駅での騒動。そして転売目的の人たちが居たことに対しての議論になっているそうで。
転売行為は本当に悪なのか? - Togetter
うーん、あれだ、この辺の「行列の倫理」と「(転売による)市場の倫理」のコンフリクトについては、サンデル先生の『それをお金で買いますか』でも読もう! という辺りで大体終わってしまうお話ではあるかなぁと。
まぁそれだけで日記が終わってもさみしいので、以下適当なお話。
より長い行列に並ぼうとする意思と、より大きな金額を支払おうとする意志。一体どちらの方が真に「欲しがって」いるのか?


ともあれ、まぁ確かに経済学としてみれば、こうした『転売』や『ダフ行為』は非難どころか賞賛されるお話ではあるんですよ。不当に安かった商品を適切な値段で提供することで最も(金銭的)価値を見出す人たちへと循環させ、社会的効用を増大させているから。
資本主義そして経済効率こそを信奉する私たちの社会に適ったやりかた。


ただ――まさにサンデル先生が「それをお金で買いますか?」と問い掛けているように――じゃあ世の中のモノ全てを『お金』基準で転売することが正しいのか? と聞かれると、やっぱり大多数の人はそこまできっぱり割り切れませんよね。行列に並ぶ倫理と市場倫理を同価値に、常に、見れるわけではない。
あるモノは転売することは許されても、しかし別のモノは許されない。
結局、この転売の是非問題の根幹はここにあるわけで。
投票する権利、救急を受ける権利、表彰される権利、あるいは公共サービスを受ける権利などなど。わずかな費用があったとしても、しかしお金の多寡を問題にしてはいけない・するべきではない商品やサービスについて。一般に公的性質に高いモノは転売を認める余地は少ないと言えるでしょう。サンデル先生はお金を絡ませることで本来の価値を低減させている「腐敗」であると指摘しています。
故に人びとはその行為に怒りを覚える。それをお金で換算するなんてとんでもない、と。
おそらく、この点で言えばまぁ一部の過激派の人を除けば問題は少ないと思うんですよね。


それが例えば今回のような記念Suicaだとまぁ議論が割れることになる。問題なのは「記念品」と銘打たれているように、やっぱり単純に営利目的というだけでもない点ですよね。ついでに言えば、限りなく公共インフラの性格が強い『鉄道』企業だという面もあるでしょう。特に鉄道なんてほとんど完全に「庶民の足」でもあるわけですよ。
故に今回のようなイベントは、定価販売ということからも解るように、基本的には消費者へのサービスの一環でもある。適度にイベントが盛り上がるように、適度にレアリティがあるように限定販売をした。
そこで転売=高値転売を認めると、本来のイベントとしての意味が損なわれてしまう、というのはまぁ一理あるお話ですよね。この辺は同じくしばしば転売議論ネタとしてあがるコンサートチケットなんかと同じなんですよ。それこそ超人気アイドルのコンサートチケットなんかが転売にすごい厳しい措置を採っているのもそういう理由なわけで。転売を認めると、多くを占めるはずの(若い人たちはふつうそんなにお金はない)ファン層の信義を裏切ることになりかねないから。
その点で言えば、あくまで従来ファンに対するサービスの一環として安値で提供されている商品やサービスを転売することに怒りを覚える人たちがいるのは理解できるんですよね。まさに転売することは「市場価値」に転換されてしまうことを意味するから。


果たして、今回の「東京駅開業100周年記念Suica」は、あくまで通常の商品として扱うべきなのか。それともお金には変えられない意味を持つ記念品なのか?



まぁその意味で言えば、まさにJR東日本の中の人たちの誤算としては、別に普段から東京駅を熱烈に愛しているあるいは普段から鉄オタでもない人たちが、ただなんとなくブームと熱狂に流されて記念Suicaに群がることを読めなかった悲劇、という辺りなのかなぁと。
人の業ってふかいよね。
――いやむしろ「もうみんな飛び込みましたよ」と言われる日本人の業かもしれない。