空爆で殺した件について、国民一人当たりの責任の重さはどれくらい?

現代のテロリストたちからの質問状。


籠城ユダヤ商店の容疑者の会話、筒抜けだった : 国際 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
これって地味にめんどくさくて面白いお話かなぁと。国家の外交政策について、責任主体はどこにあるのか?

 容疑者は人質に「(イスラム過激派)『イスラム国』への攻撃をやめるべきだ」と述べ、仏軍も参加して行われている空爆を批判。「お前たちが選んだ政府はアフリカのマリや外国で戦争をする。お前たちの税金が使われている。フランスが攻撃しなければ、私はここにいない」と自己を正当化した。

 若い男性の人質が「仕方ないさ」とつぶやくと、「そんなことはない。私は税金を払っていない」と返答。さらにこの人質が「税金は道路や学校を作るために必要。他人を傷つけるためではない」と話しかけると、容疑者は「みんな(銃撃された政治週刊紙)『シャルリー・エブド』のために集会をしている。どうしてイスラム教徒の安寧のために集まらないんだ」と不満を訴えた。

籠城ユダヤ商店の容疑者の会話、筒抜けだった : 国際 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

「税金納めてない」という返答にはちょっと笑いますけど。無視していたのか、免除されていたのか、徴兵制のように良心的拒否でもしてたのか。
ともあれ、おそらくフランスの外交政策への反発が引き金の一つとなったのは間違いないのでしょう。あれだけイラク戦争なんかではアメリカを批判しまくっていたフランスさんちの内実。
政治家の行為について、一般国民はどこまで責任をもつべきか? - maukitiの日記
上記日記でも書きましたけど、これってビンラディンさんも似たようなことを言って『9・11』を正当化していたんですよね。

人民が指導者を選び、それによって指導者の行為を是認し責任を共有することは、民主主義の根本原則である。「自由の国」である以上、アメリカ国民が自分らの指導者を選ぶことは「自由」である。彼らはそのような権利を有するのであり、それによって自分たちの選んだ政府がおこなう政策に同意したものとみなされる。この中には、何十億ドルにものぼる軍事援助などの形でイスラエルを支援する政策も含まれている。自国の指導者を選ぶ行為を通じてアメリカ国民はパレスチナ民族を幽閉する行為に同意し、パレスチナ民族の住宅を破壊しイラクの子供らを殺戮する行為に同意したことになる。アメリカ国民は政府の政策を拒絶する手段と自由を有しているにもかかわらず、何度投票をくりかえしても、政府の政策を支持しているという結果をだす……
(中略)
したがって、アメリカ国民に罪がないとは言えない。アメリカ国民は、これらすべての犯罪に積極的に関わっているのである。*1

もちろん学問的に民主主義政治制度はそのような性質なものではないと、ある程度まで反論をすることはできる。実際本邦も政権交代の際には似たようなこと言われたりしてましたよね。「自民党民主党に投票した奴が責任をとれ!」なんて。その意味では、民主主義国家に生まれ住む私たちに対してもある程度は通用する素朴な論理なのかもしれません。
おそらく今後もこの論理によって彼らはテロを正当化することでしょう。まさに民主主義国家故に彼らは対抗テロリズムを正当化する。「お前らが投票し選んだ責任を採るべきだ」と。もし実際に自分が人質になったとき、そうした教科書的な答えで彼らを納得させられるかと言うと、やっぱり僕にも自信ないなぁと。


みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:マイケル・ショワー『帝国の傲慢』下 P61