『呼称』の正しさをどのように判定すればいいの?

カリフでも国家でもなくましてやイスラムでもない、と言えるだけの判断材料の所在について。


「イスラーム国」の表記について - 中東・イスラーム学の風姿花伝
ということで本邦でも地味に色々議論されている呼称問題であります。うちの日記でも、gryphonさん辺りの朝生でも話題に…「『イスラム国』の名前を使うな」問題(自称・他称問題) - QUIET & COLORFUL PLACE- AT I, D.記事を見ていて、日記で散々書いてきた手前どうしたものかなぁと思ったお話でもあります。まぁ結局着地点としては、こんな場末の日記を見るような物好きな人たちは今更「国である」とか「イスラムそのものである」とか勘違いしないだろうから別にいいかという辺りに。それでも最近では一応意識して『イスラム国』と特定するような形で書いておりますけど。
ちなみに本音は今更変えると過去記事を検索するときにメンドくさいから、という経済学的な理由が大きかったり。


実際、確かに呼称が与えるイメージや情報というのは古今東西存在していて、その意味で言えば彼らが『イスラム国』と名乗ったのもそれなりにイスラムの教えを援用したイメージ戦略に基づいていて、それを使うことはその戦略に乗ることだというのには一理あります。
私たち日本のお隣の某国だって共和国を自称しておいてあのザマだし、それこそテロリストか正義の闘士か、というのは昔からある議論でしょう。中国には昔から正名論ってありますしね。最近のタイムリーな事例で言えば、ウクライナの危機なんかも同じ構図があって、西側の人たちは頑なに東部勢力を『親露派武装勢力』と呼んでいますけども、実際の東部反政府派の兵士たちはそれに不満があることは確実でしょう。逆に自身やロシアなどは彼らの事を『義勇軍』と呼んでいるわけで*1。どちらにしても、そこにはプロパガンダポジショントークの意味もあって、彼らはお互いにその自称やレッテル貼りをやめようとはしない。つまり、相手のそれは不義であり、我らこそが正義であるのだと。呼称に込められるそれぞれの大義
――『イスラム国』と呼ばないのはいいとして、では東部ウクライナの彼らを『義勇軍』と呼ぶことはどうなのか?
他称「武装勢力」と自称「義勇軍」。他称「テロリスト」と自称「自由の闘士」。他称「所謂だーいっしゅ」と自称「イスラム国」。もちろん私たちはそれぞれ場合によって呼び分けているものの、そこに恣意性がないなんてこと絶対に言えませんよね。


もちろんその自称について、私たちは常に使用を選択することはできる。では、ならばその選択の自由を行使する時、一体その呼称の正しさのをどのように判定すればいいのか?
――と聞かれると困ってしまうよなぁと。


その意味で『イスラム国』のそれも構図として基本的には大して変わらないのだと思います。彼らの影響力と存在感を少しでも低下させたい人たちは敢えて蔑視的な呼び方をするし、反対のポジションからは逆のことが行われている。
もちろん無実で無関係なイスラムな人たちに無用の誤解を招きかねない、という辺りは今回の件での議論をめんどくさく、また別の意味で単純にしている点は確実にあるのでしょうけど。ただ、それでも、今回の『イスラム国』の呼称問題は同時に上記のような両者による情報戦の要素も大きい故に、まぁあんまりそこを突っ込んでもなぁと生暖かい気持ちは少しあります。

 本当は「イスラーム国」を称する集団が出てきてもそれにひるむことなく、どのような意味で「イスラーム」だと主張しているのかを見極め、「国」としてどの程度の実態があるのかを見極め、どの程度アラブ諸国の政府・市民、イスラーム世界の政府・市民に支持されているのかを見極め、日本としての対処策を決めていく、というのが、まともな市民社会がある大人の先進国ならどこでもやらなければならないことです。

「イスラーム国」の表記について - 中東・イスラーム学の風姿花伝

「彼らが国であるかどうか」については、グルジアやらコソボやらクリミアやらを見ればわかるように、国際政治の面=国外主権としても国内主権としても専門的且つ学術的に――ボダンからヘーゲル、そしてハーバーマスあたりまでを基本に――一般人がマジで手を出せないレベルであるし、それを言ったら「彼らがカリフ・イスラムであるかどうか」については彼らの宗教史そのものに関わってきて更にめんどくさいというかそれを非イスラムな部外者が決めるのも変な話だし。
いやまぁ確かにそんな愉快な『自称』に対して、彼らは神聖でもなければローマ的でもなくましてや帝国ですらない、なんて言い切れれば楽なんですけどね。しかし実際にその正しさを判定しようとすると議論はまったく容易でなくなってしまう。どちらがどの程度正しいかなんて、とてもとても僕のような一般人には手が届かない。


まぁなかなか難しいお話ですよね。それでも、考える葦であった方がマシだと思うので上記のお言葉には概ね同意する所ではあるんですが。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:http://japanese.ruvr.ru/なんかを見ると徹底していますよね。