「希望は戦争」が「手段は戦争」となって帰ってくるのを認めるわけにはいかない私たち

社会秩序維持の為には(渡航の)自由などない、なんて。


日本人 「イスラム国」に参加計画か NHKニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20141007-00000219-fnn-soci
日本人の「イスラーム国」参加未遂の報道に思う - 中東・イスラーム学の風姿花伝
「ジハディストの友人である日本の "ジャーナリスト"」と仏メディアに紹介された人について、散らばってる情報を一箇所にまとめておく。: tnfuk [today's news from uk+]
資料とリンク集「日本人がイスラム国参加を試み取り締まり。同行取材予定のジャーナリストも捜索」 - QUIET & COLORFUL PLACE- AT I, D.
ということで期せずして大盛り上がりとなっている例の「大学生イスラム国参加未遂」のニュースであります。張り紙の一件を見ても、洒落にならない当事者となりつつありながらも、まだどこか戯画めいた所があるお話かなぁと。
まぁでも古今東西若者の激情なんて多かれ少なかれそんなものかもしれませんよね。ソ連アフガニスタン侵攻でもイスラム世界中から「聖戦士」が集まったし、スペイン内戦なんかでもヨーロッパ中からファシズムと戦う決意に燃えた若者たちが集まったわけだし。

刑法の私戦予備及び陰謀罪とは、外国に対して私的に戦闘行為をする目的で、その準備または、陰謀をした者を罰する規定で3か月以上5年以下の禁錮刑にするとしています。
国家の意思とは無関係に私的に外国に対して武力の行使を行う目的で武器や資金の調達、それに兵員の募集を行うことなどが、「準備」に当たるとされています。
また、「陰謀」とは、2人以上の人が戦闘を実行するために謀議などを行うこととされています。
この規定が実際に使われるのは、極めて異例です。

日本人 「イスラム国」に参加計画か NHKニュース

そして一方で、こうして「私戦予備及び陰謀」なんてカビの生えた刑法を持ち出しての犯罪認定というのを見ると、欧米社会が直面する問題が現実の不安がそれなりに理解できるお話ではあります。『イスラム国』がグローバルな問題であることの、あるいは日本がグローバル化していることの、一つの象徴として。そして無関係ではいられない対テロ戦争の一環として。
安全保障理事会決議 2178 - 国連広報センター
これまでも何度か日記で書いてきたように、また最近も国連の安保理決議なんかが出されたように、やっぱりそうした渡航を認めることは大きな問題となりかねない訳であります。日本ではまだ極少数でしかないものの、ヨーロッパでは数百人単位ですよ。ついでに言えばより隣人に近い中近東社会からは更に多い数千人の単位で。一足先に当事者となっていた彼らの衝撃がよく解るお話ですよね。
別に行ってそのままだったら問題ないんですよ。ところが戦死せず生き残った彼らの多くの当然のことながら、また「帰って」くる。それが幻想であれ激情であれ若気の至りであれ、戦争に希望や正義を見出した人が実体験として戦闘経験を携えて帰ってくることを、人びとは恐れている。まるで感染者を恐れるような態度で。


それこそ敢えて戦地に向かう人たちというのは、マクロな社会正義からミクロな非モテな鬱屈まで、まぁ多かれ少なかれ自身と周囲の現状に不満を抱いているわけで。現状に満足していたらそんなことしませんよね。かくしてその戦争に希望を見出してしまう。
潜在的に社会に不満を抱いていた人たちが「希望は戦争」から「手段は戦争」となって帰ってくる――その可能性を、無視できない。


全員が全員そうなるとは絶対に言えませんが、しかし少なくともその一部は、ハンマーを持つ故に問題は釘であると認識するようになるでしょう。だからこそ、個人の自由を至上命題と位置付ける欧米社会ですら、平和を愛するからこそその自由を認めるわけにはいかなくなっている現状。私たちは社会秩序の安定の為に、個人の(渡航する)自由を制限しようとしている。
こうした点からすると、まぁよくある社会におけるトレードオフなお話ではあるかなぁと。秩序か自由か。他の多くの議論と同様に、果たして今回の渡航制限というのが一体どこまでの射程を持つ正義なのか? と問われると少し困ってしまうお話ではありますけど。


みなさんはいかがお考えでしょうか?