綺麗事と実際の行動との、越えられないこともないけど高い壁

「難民を放置するなんてひどいね!」から次へのハードル。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43851
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43869
うーん、まぁ、そうね。「セントルイス号」みたいだというのは概ね適切な類推かなぁと。

 1939年5月13日、ドイツの外洋船セントルイス号がハンブルクを出帆した。乗っていたのは、欧州で勢いを増す抑圧から逃れようとする915人のユダヤ人難民だ。豪華客船ではダンスやコンサートが繰り広げられ、寛大な船長は乗客たちがアドルフ・ヒトラーの胸像にテーブルクロスをかぶせるのを許した。

 2週間後、セントルイス号はハバナにいかりを下ろし、キューバのビザを買っていた乗客が確信していた温かい歓迎を待った。

 ところが、そうはならなかった。キューバ当局は彼らを追い返し、その後、米国、カナダ当局も追い払った。

 セントルイス号は欧州に戻ることを余儀なくされた。推定で乗客の4分の1が結局、ナチス強制収容所で死んだ。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43851

ちなみにあのセントルイス号でのヨーロッパは(アメリカ大陸諸国に拒否された)ユダヤ人たちを受け入れただけまだマシだったりするんですよね。むしろほんとうにザ・クズな対応をしたのがキューバやカナダ、そしてアメリカだったりする。
アメリカなんて、まさに今東南アジアでやっているように、沿岸警備艇で取り囲み泳いで渡ろうとするユダヤ人をも銃で拒絶した。アメリカってくにはすばらしいなぁ。まぁ同時代に事実上無関係な日系人たちが――ドイツ系と違って――敵性国民扱いされ強制収容されていた私たちからすると言わずもがなではありますよね。
そうやって追い返されたユダヤ人たちはヨーロッパに帰り、幾つかの国に受け入れられたものの、フランスやベルギーなどナチスドイツに飲み込まれた国に不運にも受け入れられてしまった人たちはその後『最終的解決』されてしまうのでした。行先として当たりだったのは、ドイツのあしか作戦を回避できたイギリスだけ。チャーチルばんざい。なにもかも力が無いのが悪いんや。
その意味で、こうしてFTさんちやエコノミストさんがユダヤ人を例に出すのはギリギリセーフかもしれない。現在の欧州連合内でもイギリスは「堂々と」域内の移動制限なんかを主張してますしね。


これまで当日記でも何度か触れてきた「21世紀は難民の世紀」という予言の的中例がまた一つ。地中海に中東に東南アジアでも。こうした難民放置の問題で、ヨーロッパや東南アジアを非難することは簡単ですが、ほぼ確実に私たち日本も同じ状況では同じジレンマに陥ると思うので、(実際に今そうしているように)しれっと無視してあんまり大きな声を上げない方がいいかもしれない。
そして、どちらにしても、見捨てられる難民たち。


がんばれ人類。