ヨーロッパの罪を引き受けた故のドイツの暴走

今度こそ救ってみせる、と決意する一部ドイツ人。


ドイツ大異変! 急落したメルケル人気〜「盤石」と思われていた経済大国で何が起こっているのか?  | 川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」 | 現代ビジネス [講談社]
うーん、まぁ、そうね。

しかし、ドイツ人の奇妙なところは、ときどき、ある日突然、皆がこぞって理性をかなぐり捨ててしまうことだ。そして、倫理観だけを前面にかざし、自己礼賛とともに、非合理の極みに向かって猪突猛進していく。

これが始まると、それに反対する意見には、すべて非人道的というレッテルが貼られる。また、難民の多くがイスラム教徒であることによる社会生活上の摩擦など口にすれば、あたかも「自由、平等、博愛」精神が欠けているように叩かれるのである。

しかもメディアがこぞって、"welcome to Germany"とか、"I love Refugees"といったプラカードを掲げた人々を、これぞドイツ人の良心とでも言わんばかりに感動的に報道する。それを見たドイツ人は心が洗われた気分になり、さらに自己礼賛を強め、「Wir schaffen es!」の思いを新たにする。

こういう状態になった時のドイツ人は、自分たちを倫理の高みに置いているので、絶対に他の意見を受け付けない。だから、増え続ける難民に対して危機感を持っている人たちは、問題提起すらできなかった。下手に声をあげても、「非人道的」あるいは「極右」というレッテルを貼られるのがオチだ。

ドイツ大異変! 急落したメルケル人気〜「盤石」と思われていた経済大国で何が起こっているのか?  | 川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」 | 現代ビジネス [講談社]

まぁこういうオチに辿りついてしまうのも理解できなくはないんですよね。結構前にドイツのインフレ憎悪ネタでも書きましたけど、ドイツにはそうした難民たちに善意を燃え上がらせるだけの記憶、ぶっちゃけトラウマがあるわけで。まさに今の難民たちのような苦境にユダヤ人たちを自分たちが追い込んだという記憶が。今の彷徨える難民たちと同レベルの苦境をナチスドイツは実現していた。
だからただ単純に善意発露や自己礼賛というだけでなく、ドイツの愉快な現状が意味するのは、彼らの『贖罪』の続きでもであるのだろうなぁと思います。


――ただ実際の所ほんとうにそれがドイツだけの罪かというとそんなこと全くないわけですよね。むしろ戦前にあったのは一足先に西ヨーロッパなどから追い出された故の、ドイツを筆頭にした中欧東欧におけるユダヤ人村落共同体の多さだったわけですよ。キリスト教において古来から続く反ユダヤ主義と、民族的イデオロギーが各国で盛り上がったあの時も、結果としてユダヤ人たちをドイツが受け入れ共存し、だからこそのあの惨劇に繋がった面があったわけで。
ドイツはそんなヨーロッパ中に吹き荒れた「反ユダヤ主義」のツケを全て背負うことになった。更にはそうあるべしとヨーロッパ中から暗黙の内に了解もされているわけですよ。自分たちにも反ユダヤという歴史があったことを横に置きながら、ドイツにすべてを背負わせたドイツ以外の先進的ヨーロッパ人たち。


まぁもちろん今のバカげた難民受け入れの暴走は、ドイツ人が自発的にやっている面もあるでしょう。ただ少なくない部分で、その他のヨーロッパ諸国がそんな風にドイツにそのようにあるべし、と押し付けてきたツケだとも思うんですよね。実際今でもナチスドイツの時の罪はあけすけに語られているわけで。
それの是非についてはともかく、しかしそうした結果ドイツがどのように振る舞うのかについて考えてみれば、今の結果は当然の帰結じゃないのかと。
ドイツにあの罪を忘れるな二度と繰り返してはならないと叫び続けた結果に起きた、無制限な難民受け入れ。
その結果がヨーロッパ中を巻き込んだ形での受け入れ枠と考えると、これ以上ないほど皮肉な結果だよなぁとしみじみ思います。あるいはドイツ流の歪んだ復讐なのかもしれない。そりゃこうなるよね。


みなさんはいかがお考えでしょうか?