難民たちのケツイ〜申請地獄たち〜

ただ強欲というよりは失った分を必死に取り戻そうとする人たち。



ドイツが「国境開放」「難民歓迎」を1週間でやめた理由 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
昨日も書いたネタからもう少しだけ。昨日の日記ではさらっと流しましたけども、やっぱり今回の大イベントはヨーロッパ側の事情だけではなく、難民たる人びと側の事情としても彼らは退けないよねぇと。

 トマス・デメジエール独内相がロイター通信に語ったところによれば、こうした国境管理の目的は「ドイツへの難民の流入ペースを抑え、入国した人々を秩序立った手続きで迎えるため」だという。また「難民は保護を受ける国を選ぶことはできない」ことを理解すべきだとも語った。今後オーストリアとドイツの国境を越えられるのは、EU欧州連合)市民と、有効な書類を持つ者だけになる

ドイツが「国境開放」「難民歓迎」を1週間でやめた理由 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

上記大臣の「難民は保護を受ける国を選ぶことはできない」という言葉は今の現状の難題っぷりを見事に示した言葉ですよね。
――つまり、逆説的に選びたい=恵まれたドイツ等に行きたいと願う難民が多いからこそ、彼はこのような発言をしている。まさにその発言自体がこれ以上ないほど現状を正しく端的に示してしまっている。



でもまぁ現状で国境に押し寄せている難民たちがそのように願うのも無理はない話ではありますよね。例えば現地からの交通手段すら欧州から出していれば話は別だったでしょう。しかし今押し寄せる難民たちってそうではない。彼らは多かれ少なかれ身銭を切ってそこにきているわけですよ。少なくとも彼らが自分で選んで自分の足でここまで来ている以上、行く先も自分が決めると考えるのはまったく不思議ではない。
その意味で言えば、彼らはただ「ねだって」いるのではなく、正しく自らの運命を「勝ち取ろう」としているだけ。
もちろん危機に乗じて富裕国へ移民を企んだ人が居ないわけではないでしょうけども、しかしほとんどの人たちは望まずに国を出た人たちが大多数であるはずです。彼らは追いつめられた末に祖国を捨て、だからこそ、新天地を出来るだけ良い所を望もうとする。より良い環境を求める彼らをただ強欲だと批判することもやっぱりできないでしょう。そう願うことはごく自然なことでしかない。


本邦でも「もうだめねこのくに」と猫の国に絶望し「絶対絶対ぜーったい国外脱出するでー!」と聞かれても居ないのに公言する愉快な人は少なくありませんけども、しかし古今東西の歴史が同時に証明するのは『祖国(故郷)』にひたすら拘泥する私たちでもあるわけですよ。
単純に逃げ出すアテの有無というだけでなく、仮にあったとしても今生活する場を捨てたくないと素朴に願う人たち。最近の事例だと、福島原発の避難事例なんかでも言われていましたよね。東京砂漠よりも原発近くで死にたい。自らの生まれ育った土地にこだわるのは、かなり強力な感情でもありそのストレスを埋めることは容易でない。
翻ってシリアから追われた人たちも同じく故郷を追われた強い喪失感を抱いているわけで。ただでさえストレスの多い異文化での生活を強いられるにあたって、それを単純に埋めるのは難しい。だからこそ、彼らはより良い生活を求める面があるわけですよ。避難生活者に対しても言われていたような、昔よりマシだろうとか、昔と同程度で十分だろうとか言うのは、故郷を失った人たちの喪失感を埋めるにはまったく足りてないんですよね。


(もちろんそれがないとは絶対に言いませんが)彼らはただ経済的なインセンティブというだけでなく、故郷を失った故にその喪失感を埋める為にも、より良い安住の地を求めようと決意している。元々行き場がないのだから「難民は保護を受ける国を選ぶことはできない」というのは本邦の避難民に対する対応でも見られたような、追われた難民たちのケツイをまったく甘く見たお話ではないかなぁと思います。


かくして彼らはその中でも最有望と目されるドイツ国境へと殺到する。誰にとっても重要な故郷を追われたからこそ、せめて第二希望はより良いものを願って。


がんばれ人類。