競争相手のいない世界

美しい姫を謀殺する必要すらない。


現実味を帯びてきた、大統領選「ヒラリー対トランプ」の最悪シナリオ | 冷泉彰彦 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
民共合作にしろ維新分裂にしろ、本邦の政治状況を考えると耳の痛いお話だよなぁと。

 私は「統治能力」としてヒラリーとそのブレーンに関しては一定の評価はしていますが、仮にこのような「楽勝シナリオ」で大統領になるようなことがあれば、それは決して良いことではないように思います。大統領選というのは、「実現可能な幅の中での真剣な政策論争」によって次期大統領を鍛える、そして世論には新政権による変革への期待と準備をさせるという機能があるはずだからです。

 ヒラリー対トランプというような「内容のない」選挙戦が現実のものとなり、まともな政策論争が成立しないようですと、アメリカ政治の活力自体が弱まる、そんな可能性もあるように思います。

現実味を帯びてきた、大統領選「ヒラリー対トランプ」の最悪シナリオ | 冷泉彰彦 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

あちらでは「可能性」として恐れられていることが、本邦ではほとんどそのまま現実のものになっているわけで。その意味で言えば現状の小選挙区制では(恒常的な政権交代可能な)二大政党があった方がよいと個人的には考えていますが、でもその受け皿なんてほとんど見当たらない日本政治について。


カール・ポパー大先生が仰っているように、民主主義の最大の利点と呼べる部分はその修正能力=フィードバックできる体制という処にあるわけで。故に民主主義は根本的に不完全で不安定であるものの、しかし最高のものであると彼は主張しているのです。現実の社会は複雑で予測不能であり、完全な知識もなく、故に政府は――それが大きいか小さいかの差はあれど――ほとんど常に間違う。それは米国の民主党でも共和党でも、あるいは日本の自民党でも民主党でも、欧州の民主主義国家でもまったく変わらない普遍の真理であります。
間違いを犯さない政府なんていう空想を望むのではなく、間違った政策を不断に改善していく。だからこそ、民主主義にとってまともな政策論争は必要なわけですよ。


もちろん自民党が間違っていない、というわけでは絶対にない。ただ、それを安倍政権の横暴だというのはやっぱりちょっと違うよなぁと。
それこそ本邦には上記機会がほとんどない、というだけじゃないのかと。もちろんおお隣の一党独裁やお隣の独裁政権のように、ライバルの野党を物理的に抹殺しているというのなら話は別ですけども、少なくとも現政権はそんなことはまずやっていないわけで。選挙制度も完璧だとは絶対に言えないものの、だからといって上記お隣の国のように政治的正統性が失われるほど酷いわけでも絶対にない。個人的にはアメリカよりマシだと思ってます。
一方で現状が自民党政権に単純に有利に働いているかというと、上記の冷泉先生のように、必ずしもそうは言えないわけで。でもまぁ事実上敵が居ないんだからそうなるのも無理はないよね。政権が暴走しているというよりは、その暴走に対して比較する相手すらいないだけ。



このままだと次も「内容のない」選挙戦になってしまいそうな現状について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?