『核なき世界』への希望なき世界へ

保有国「越えちゃいけないライン、考えろよ」


核廃絶決議を国連採択 日本主導、米・英・仏などは棄権:朝日新聞デジタル
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201512/CK2015120802000244.html
そういえば先日も核廃絶会議がありましたけど、あんまり本邦でも話題になりませんでした。

 【ニューヨーク=共同】国連総会(百九十三カ国)本会議は七日、世界の指導者や若者の被爆地訪問を奨励する日本主導の核兵器廃絶決議案を賛成多数で採択した。日本の核廃絶決議採択は二十二年連続で、被爆地訪問を促す文言が入るのは初めて。ただ、五大核保有国の賛成は得られず、核兵器禁止への努力を訴える別の決議でも保有国と非保有国との対立が鮮明となった。
 戦略環境に応じた「段階的な核軍縮」を主張する保有国と、核兵器禁止条約制定を求める非保有国の「橋渡し役」(政府筋)を目指す日本政府にとっては厳しい結果だ。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201512/CK2015120802000244.html

でもまぁ仕方ないよね。もちろん国連総会では決議こそ通ったものの「核保有国」による賛成は完全にゼロになってしまったわけで。こんなんここ10年以上なかった事態ですよ。進まないどころか後退してる感。核廃絶決議()レベルで、反核運動に熱心な人たちが多い本邦においては、こんなの話題にするのは不謹慎とすら言えるレベルでしょう。
ということでほとんど無視するのも仕方ないよね。



ともあれ、でもまぁポジティブに見ればこれは「生みの苦しみ」と言うこともできなくはない、と擁護することもできるでしょう。当たり前の話ではありますが、私たち日本をはじめとする非核保有国としては、その最終目標へ向けて年々決議をアップデートしていく必要があるわけで。去年より今年が、今年より来年がより良い内容にしなければならない。でなければ『軍縮』は進歩しているとは言えず、それが後退することを容認できるわけがない。
――しかしそうしてより踏み込んだ内容に進めていく以上「どこかの時点で」それが核保有国の容認ラインを越えてしまうことは自明でしょう。
そして、ついに今年そのラインを越えてしまっただけ。まぁそんな風に考えるならば確かに進歩に伴う苦しみだと擁護することはできなくはなくない。


でも現実の国際関係を見れば理解できるのは、単に決議の中身のラインが進歩したというだけでなく、むしろ核保有国の容認のラインが『後退』したことの影響の方が大きいわけですよ。悲しいことに核の価値は徐々に上昇する兆しを見せている。冷戦後のアメリカ一極状態ではほとんど無用の長物と見られていたそれが、「抑止力」としての存在意義を再び復活させつつある。ついに『核なき世界』の本丸だったオバマさんのアメリカも賛成をやめちゃうレベル。
軍縮から、軍拡の足音へ。


決議内容の進歩と、核保有国の意思の後退。
おそらく今年ついに核保有国の賛成がゼロになったことの要因は、この二つのラインの変化が原因なのでしょう。自然に考えるならば、このまま行くとこの乖離は益々進んでいく。多極化が進む中で私たち非核保有国のモノを言う声は当然大きくなる一方で、多極化と国際関係の混沌が進めばこちらも当然核抑止力の存在価値は高まる。
いやぁ果たして来年はどうなるんでしょうね?


みなさんはいかがお考えでしょうか?