右も左もない『中道化』に込められた人びとの希望は裏切られたのか?

最早中道路線は陳腐化しつつある、のか?



フランス極右政党が記録的得票、パリ同時テロ以降初の選挙 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News
ということでフランス議会選ではルペンさんが大勝利だそうで。与党社会党は第三位でボロ負けであります。これでフランス左派が死んだとか言われてますけど、それもうミッテランさんの時代から言われてますよね。フランス左派は二度死ぬ。このネタで以前日記書いた記憶があるようなないような、どちらにしてもそれはまた別の機会で。
ドナルド・トランプ氏が信じる22のこと - BBCニュース
ともあれ、こうした流れはトランプさんの再び支持率が復活していることや、あるいは少し前のイギリス労働党でのコービンさんが代表に選ばれたことも同じ地平にあるのかなぁと。既存政党のやり方に期待しなくなった人たちというのは、決して無視できない勢力になりつつある。
以下、現代の民主主義国家で徐々に進みつつある中道路線の陳腐化について、適当なお話。




こちらも以前の日記でもよく書いてきたネタではありますが、基本的には政党の中道化って選挙勝利の為の王道路線ですよね。何故なら中間層が一番大きいのだから、第一党を目指すのならばむしろそうしない理由がないほどであります。二大政党なんかだと特に顕著で、ライバルよりも真ん中に近ければ近いほど、大きな支持を得やすい。
かくして大政党であればあるほど、必然の帰結として、中道化していく。逆にニッチな支持層を狙う政党は、尖った主張をすることでそうした大政党からはかけ離れた支持層を得ようとする。まぁこれはほとんどの民主主義国家で見られる普遍的光景であります。


ところが今はそうではない流れが起きつつある。中道路線には満足できない有権者たちが徐々に大きくなりつつある。


それで上手くいっている、例えば経済面で言えば景気拡大とはいかなくても最低限目に見える形での経済悪化さえなければそれでも良かったんですよ。「小さい不安がある」ということは、その解決策として求められる「小さな路線変更」で済むわけだから。
――しかし「大きな不安」があると、当然求められるのは「大きな路線変更」ということになるわけで……。
ここでオール中道化の欠点が浮かび上がることになるのです。小さな変化で済むのならそれでも良かった。ところがそんな小さな変化では賄い切れないような、大きな不安を抱いてしまうと、中道化した既存の大政党ではまったく希望を託せなくなってしまう。だってほとんど何も変わっていない、小さな変化しかないことが目に見えているから。
かくして人びとは、小さな変化ではない大きな変化を求めては、ちょっとアレな政党に投票する。


翻って本邦を考えると、難民にしろテロにしろ経済悪化にしろ、良くも悪くもそこまでに「大きな不安」を抱えるには至っていない。いや、アベノミクスで日本経済崩壊とか、あるいはセンソー法案で日本が徴兵して宣戦布告とか、天が落ちそうな某強化人間なことを言う人は結構いらっしゃいますけど。でも皮肉なことに――その不安が絶対無欠で100%ありえないとはさすがに言えない――そうやって過大に不安を煽れば煽るほど、現実に起きるのは相対化された「小さな不安」でしかなくなってしまうわけで。
「なんだ、彼らが言うほどには、悪いことは起きていないじゃないか」なんて。
だから逆説的に、むしろ日本政府の側が、あるいはそれこそ欧米政府がテロや難民や経済危機による混乱を抑えるためできるだけ過小評価しているように、危機を小さく見せようとすればするほど現実に起きる危機が相対的に大きく見えてしまって政府たちはしばしば墓穴を掘ることになるんですよ。
「なんだ、彼らが言うよりも、ずっと悪いことが起きているじゃないか」なんて。
まぁその意味でほとんど壊れたスピーカーのように危機を誇大に煽る人たちは、政権からお金でももらっているのかなぁという気持ちにはちょっとなります。

    • (でもキモくて金のないオッサン事例なんかを筆頭に、いつか事実上中道だけでなく主流リベラルからも完全に「見捨てられている人たち」を惹きつけるエキセントリックな政治家や政党は、今後日本でも出てくると思います。幸か不幸か今はまだそうではない、というだけ。)



冷戦も終わり、横暴な唯一超大国アメリカもピークアウトを迎えることで、ようやく世界が平和と安寧を享受し、ついに穏やかな変化だけでやっていける時代が到来するかもしれない。いや、素朴にそうなるはずだと信じていた人は少なくなかったはずでしょう。
欧州連合さえあれば、
子ブッシュが居なくなれば、
アラブ世界に民主主義さえあれば、
プーチンがロシアと一緒に没落すれば、
中国が責任あるステークホルダーになれば、
そして最も重要なこととして、今日より明日の方がいい暮らしができると信じられれば。


ところが、そうはならなかった。グローバル化した経済は最早一国の経済政策ではどうこうできないような巨大機構に組み入れられているし、二極化も一極化も終わり戦争がなくなるはずだった国際関係は多極化で一層混沌を生み出しつつある。平和で穏やかな世界に求められた素朴な希望は、ほとんど全て予想はハズれた。
誰がどう見ても激動の時代がやってきつつある現在。
――ということはつまり、人びとが求めるモノといえば……最早小さな変化しか生み出せない『中道』ではない、のか?




みなさんはいかがお考えでしょうか?