ヴェルダースオリジナル症候群な人たち。
放射能とワクチン 不安に寄り添う怪しげな「支援者」 対談 開沼博×村中璃子(前篇) WEDGE Infinity(ウェッジ)
放射能と子宮頸がんワクチン カルト化からママを救う 対談 開沼博×村中璃子(後篇) WEDGE Infinity(ウェッジ)
自主避難したまま戻らぬ「ナチュラル妻」 WEDGE Infinity(ウェッジ)
うーん、まぁ、そうね。病気によって強い不安を抱くのは理解できるものの、ぶっちゃけよくあるお話でもあるのでスーザン・ソンタグ大先生の『隠喩としての病』を読もう、で概ね終わってしまうお話ではあるんですけど。
村中 政治的な立場はどんな立場でも尊重されるべきだと思いますが、ワクチンは政治やイズムではなく科学なんです。でも、いわゆるエコな人たちって、自然志向でオーガニックでゼロベクレルで免疫力アップ! というようなことを言いますよね。
免疫という言葉はファジーで、すごく難しいんです。簡単に言うと、免疫には自然免疫と獲得免疫があって、自然免疫は風邪をひきにくいとかちょっとした怪我が治りやすいというようなことで、獲得免疫は特定のウイルスや細菌などをターゲットにした免疫。この2つは全く別の次元のもので、将棋で言うと歩と飛車角ぐらいの違いがあります。それをごっちゃにして、有機野菜やビタミンCを摂っていれば元気だからワクチンも抗がん剤も要らないとするのは明らかな間違いです。
放射能と子宮頸がんワクチン カルト化からママを救う 対談 開沼博×村中璃子(後篇) WEDGE Infinity(ウェッジ)
でも今回の彼ら彼女らだけが特別にバカなのかというと、やっぱりそんなことはなくて人間社会で常に繰り返されてきた構図ではあるのでしょう。良くも悪くもただの「病気」に何か重大な意味・隠喩を付与してしまう私たち。だからこそ、その不安はただの病気に留まらないレベル=恐怖症という所まで膨張してしまう。
古くは結核、現在進行形で実例も多く代表的なのは『癌』全般とか。
――そして今ではそこに放射能、あるいはワクチン治療とか。
ソンタグはそんな必要以上の意味を付与する行為は、少なくとも個人が病気に立ち向かうにあたって致命的なデメリットがあると明確に述べています。
「なぜなら、ガンにかかるといった体験に別の意味を持たせようとすれば重大な結果を招くことを、残念ながら何度も見てきたためである。たとえば、患者が早い段階で治療を受ける妨げになったり、有効な治療を受けようとする努力の邪魔になる」
まぁ本人が自分自身でそうした地平に到達してしまうのはともかく、他者に吹き込まれてそうなるのは端的に言って地獄でしかないよね。
特に情報革命な現代世界においては著名人なんかが「あっ……(察し」な面白愉快な治療を受けていた人たちなんか、しばしば目にしてしまいますよね。金のローラーコロコロとか、菜食とか、「それはひょっとしてギャグじゃないの?」というレベルとか。少なくとも科学的なそれと併用するならともかく、面白療法一点買いな人も実は少なくなくて、個人的には色々な意味での(追い詰められた)人間の可能性について、いつもびっくりしてます。
これが言ってしまえば人類普遍の『病*1』となる理由を考えると、善性と悪性を証明するという意味で、概ね二つあるでしょう。
- 一つは生々しい体験談に共感してしまうから。
- そしてもう一つは、人びとは抱いている恐怖や偏見や政治的イデオロギーの正当化に役に立ってしまうから。
特に後者は、上記引用先でも語られているようにまぁ現代日本でもしばしば見られる光景ですよね。そうやって既存価値観の正当化に利用されることで病気はただの病気ではなくなり、病人もまたただの病人ではなく、特別な存在となってしまう。
「貴方はただの患者ではなく、〇〇の犠牲者なのよ」と囁く悪魔たち。
こうした囁きが凶悪なのは賞味期限がひたすら長いという点にあるんですよ。まさに今回のネタでもある「何故今になっても」って、むしろ当然なんですよね。それこそワクチン恐怖症というのが大問題となったアメリカでの現状が証明しているように、あれって1982年頃始まって1986年に一応は終焉し、しかしこうして「今も尚」現代まで続いているわけで。
何故なら悪魔たちは一般にメディアの利用に長け、そしてその時々の社会不安に便乗することで、何度でも囁くから。
彼ら彼女らの魂に安らぎがありますように。