歴史ある輸血拒否の真実

21世紀でも尚『血統』や『血の純潔』を信じる人たち


【レイシズム】れいわ支持者のフェミ騎士さん、オタク献血について「血が汚れてるって言われたくらいで騒ぎ過ぎ」と暴言→ツッコミ殺到→ムキになって反論しさらに炎上。 - Togetter
コミケの献血で「オタクの血は...」と色々言われているが条件に当てはまって実際に献血できるのはエリートである - Togetter
ということで2022年の幕開けにも清々しいほどの差別発言をしている人たちがいて炎上していたそうで。

「なにとは言わないけど、献血を募る場所は考えて欲しい。輸血が必要な人は血を選べないんだから」

まぁこのオタクの『穢れた血』発言って2019年にも本邦twitterで炎上していたことがあって、割と定番ネタではあるんですよね。
――そしてまた、旧くは民族差別、現代では人種差別を正当化するポジションとして『穢れた血』を拒否するという意味でも同じく、定番ネタとして。


「ソ連人」たちと「ヨーロッパ人」たちが同じように見た華胥の夢 - maukitiの日記
以前にも日記ネタにしましたけども、ソ連末期に見せたアルメニアアゼルバイジャンの間で見せた「輸血受け取りの拒否」というのは、現代においては(平和裏における)最大限の民族憎悪の表出とされているわけでしょう。
まずこうした民族憎悪という下敷きがあってこそ、戦争という一線を越えた時にはその最も陰惨な部分である「非武装民間人の大量殺害」「人質の捕獲」「死体取引」「軍事目標の存在しない人口密集地の攻撃」「捕虜の処刑命令」「民族浄化」というところにまでエスカレートすることになる。
最近にも私たちが見たナゴルノ・カラバフ紛争の前日譚で実際に起きたこととして。



そうした歴史と伝統ある『穢れた血』の輸血拒否を、まぁこうしてカジュアルにやってしまう人たちというのは(おそらく本人はまったくの善意であろう)個人の資質に依らない本質的な人間の本性というのが滲み出ている感じで、ものすごく興味深いと思うんですよね。
それこそその辺のFワードなんかとはレベルの違うガチ感が出てしまっている。
――ちなみにこうした点で日本は差別問題で遅れていると言われてしまうと、日頃には「日本の差別意識はまだマシな方だよ」ポジションである僕としてはぐぬぬってなります。ぐぬぬ


現代社会でも尚も『血統』を重視する人たち。まぁ確かにそういう人たちは割といるわけだし、この人だけを責めるのもフェアではないよね。
やっぱりそれを公言してしまうのは割と致命的なレベルでアウトだとも思いますけど。


それと同時に、現代でもやっぱりマルクス主義が低調な理由、そして私たちがナショナリズムを捨てられない理由をも同時に解ってしまうのが面白いなあと。
世界は民族的集団=縦によって分断されているのではなく、むしろ貧富=横によって分断されているのだとマルクス先生は教えてくれるわけですけども、しかし、かのように、おそらくそうした問題にまったく興味がないであろう素朴で善意の第三者たちですら社会は『血』によって分断されていると確信している人たちがそれなりに存在している。
つまり結果としてオタクの血を『穢れている』と拒否する人たちは――まぁおそらく本人たちはまったく意図していない――結果としてマルクス主義を否定し、ナショナリズムの基礎構造を肯定している。
社会の構成員たちはその血統によってこそ分断されており、自分たちこそは清浄な血の側にいるのだと、歪なナショナリズムの気配を漂わせながら。

「なにとは言わないけど、献血を募る場所は考えて欲しい。輸血が必要な人は血を選べないんだから」

この発言ってつまるところそういうことだよね。やっぱりその辺のネトウヨとはレベルが違うガチ感です。


「オタクの血は穢れている」と「外国人たちの血は穢れている」まで何マイル?


みなさんはいかがお考えでしょうか?