学歴偏重主義というモヤモヤの爆弾

更にはそれをオープンマインド()と言ってしまう高度な煽り。


「お子さん、大学はどちらに?」に潜む“無自覚”の怖さ。モヤモヤの正体ってなんだろう | 今日のモヤモヤ話 | mi-mollet(ミモレ) | 明日の私へ、小さな一歩!
観測範囲に流れてきた時には、民主主義を信奉している僕としてはタイトルだけ見て「……おっ、今メリトクラシー批判をやるなんて意識高いやん、サンキュー!」と思ったんですが、

大学受験に失敗した娘。結局、娘自身が選んだ専門学校に進学しました。卒業・入学シーズンに会った知り合いからは、「高校卒業したのね。じゃあ大学生?」と何度も聞かれる日々。

なんだか申し訳ないような気持ちで、「んーっと、専門学校に進学したんです……」と答えていましたが、会話が続くわけもなく。お互いシーンとしてしまうんですよね。

よく考えてみれば、生き方には色々な選択肢がありますよね。そりゃ昔より大学進学率は高くなっているけれど、みんながみんな大学生になるわけではない。自分が逆の立場になった時に、思い込みで決めつけるような聞き方はしないようにしようと固く誓いました。


なるほど~。「高校を卒業したら大学に進学するもの」という先入観で、気まずい会話になってしまったんですね。これって、他にも似たような場面がある気がしますね。

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まったく違う話でした。いやむしろそれを自発的選択という形でまとめている辺り真逆のテーマですらある。ハイハイ、おわり。この話はもうやめやめ。
――でも適当な日記ネタでも何か解答用紙を埋めておけば、誰か優しい人がさんかく位はくれるかもしれない。
ということで以下適当日記。




ここではミクロな「お子さん、大学はどちらに?」という個人的体験で起きた出来事を「モヤモヤ感」とゆるふわに評してはいるものの、実は大学進学が当然だという素朴な確信というのは現代民主主義における最前線にある重要テーマの一つでもあるわけですよね。
サンデル教授が指摘して一気に広まったように、現代先進国における民主主義社会における最も深い政治分断の一つは、大学の学位を持つ者と持たざる者の間に横たわっている。
それは、おそらく私たち日本も同様に。

実際、近年はメリトクラシーによって多くの先進国で学歴偏重が生じ、社会の不平等を強めている。多くの先進国では、親の収入や文化的資本(家に本があるか、博物館や美術館に行く機会があるかどうかなど)が子どもの学力に大きく影響しているとのデータがあるにもかかわらず、一流大学に入学、卒業した“勝者”は、恵まれた状況を自分の努力の結果だと思い込んでいる。そして“敗者”は自尊心の喪失と自責の念にさいなまれ、困難な状況に陥っているのは「本人の努力が足りないせいだ」として切り捨てられる。

そんな“敗者”が不満を爆発させてポピュリズム大衆迎合主義)の台頭を招いたことは、多くの政治学者が指摘している。ロンドン大学キングスカレッジのアナンド・メノン教授は、過去数十年間にわたりメリトクラシーが君臨した結果、社会的地位を得られなかった人々が怒りの矛先を移民に向けてブレグジットを支持し、庶民の味方を強調したボリス・ジョンソン首相に投票したと分析する。

功績だけで人の優劣ははかれない! サンデル教授が批判するメリトクラシーの功罪。【コトバから考える社会とこれから】 | Vogue Japan

こうした社会不平等に関わる構図を『日常のモヤモヤ』という形で括ってしまうのは、まぁ危機意識の入口としてはともかく、「思い込みで決めつけるような聞き方はしないようにしよう」とだけじゃ結局その見下す構図をまったく否定できていないよね。
それどころか安易に話を止めて、どこに出しても恥ずかしくない自発的選択であると、書いてしまってはその現状を追認していることになりかねない。
最初のエピソードを語った彼女のモヤモヤの行きつく果てが、ポピュリズムに煽られた致命的な政治分断、であるというのに。


だからここで問題なのは、いや世界中で問題意識として持つべきだとメリトクラシーの警鐘を鳴らす人たちが指摘しているのは、「学位の方が価値がある」というだけでなく「大学進学は自由な選択」というアンコンシャス・バイアスの方であります。
ところがおそらく大卒が当たり前だと感じている『親』である彼女は、こうして堂々とそのモヤモヤエピソードを掲載させてしまう。
更には、大学進学と直結するだろう子供の学力が、親の収入や文化的資本に大きく影響するというデータがあるにもかかわらず、次のように声掛けの提案まで。

でもプライベートでは、相手の答えを勝手に想像して決めつけて、先回りするようなことはしたくない。そして、されたくないですね。

「新しい門出に、あなたはどんな選択をしたの?」

そんな、オープンマインドな声掛けができたらいいなと思います。

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大学進学と言うのは実際には「一見自由な選択のように見えて、実はそうではない仕組まれた選択である」というのが現在の問題の中心であるはずなのに、そこでわざわざ『オープンマインド』と堂々と言ってしまうのって一周回って高度過ぎる皮肉でしょう。
……地獄かな? 
いやこの無邪気でまったく悪意のないからこそ生まれる断絶こそ、学歴による政治分断という現実そのものだと言っていいかもしれない。な、なんて露悪的なモノを見せられているんや。






とまぁここまで書いてきたんですが、ここまでワザとやっているようにしか見えない記事というのは、実はそうした政治分断を和らげる効果=メリトクラシー批判をやってる正しい意味での意識高い記事なのかもしれないと思い直しました。
――敢えてアレな意見を好意的に取り上げることで、高度な煽りを文脈として持たせている。
この記事を書いた人は当日記のように、メリトクラシーやサンデル教授の議論を直接持ち出さずにそれをやっているという点で、実はものすごく教養のある人なのかもしれない。
まぁそれはそれでレベルの高い煽りカスな人物であることも否定できないんですけど。


ということで当日記は、現代民主主義政治における難問の一つである『学歴』による政治分断を高度な煽りによって和らげようとしている、「小さな一歩」を提案するmi-molletを応援しています。
みなさんはいかがお考えでしょうか?