とある集団指導体制の死

毎年のように死ぬ死ぬ言われてきた本邦の民主主義より、まさかこっちが先に死ぬとは思わなかったよね。


中国共産党、習近平氏を総書記に3選 前日には前国家主席が腕つかまれ途中退席 - BBCニュース
ということで共産党大会が終わったそうで。

前日の22日には、第20回中国共産党大会が閉幕した。閉幕式では胡錦濤・前国家主席(79)が関係者に促され、腕をつかまれながら退席する場面があった。

習近平国家主席(69)の隣に着席していた胡前主席は、関係者に付き添われて会場を後にした。胡氏は弱々しく見えた。

2003年から2013年まで国家主席を務めた胡氏は、壇上で2人の関係者に声をかけられた。胡氏は席を立つと習氏に声をかけ、習氏はうなずき返した。胡氏は関係者に腕をつかまれ退出した。

BBCのスティーヴン・マクドネル中国特派員は、なぜ胡氏が途中退席したのか不明な中で、その映像に世界の注目が集まっていると指摘する。

この出来事について中国政府から公式の発表はない。

中国共産党、習近平氏を総書記に3選 前日には前国家主席が腕つかまれ途中退席 - BBCニュース

文字通りの意味で正しく「(意味深)」な映像が流れたのはちょっと面白かったよね。
純粋にアクシデントなのか、あるいは意図的にリークさせた暗喩なメッセージなのか。どちらにしても外野の我々は想像する事しかできないんですけど。


ともあれ、まぁでも今回の本題としてはまぁ単純だよね。
既に2018年に任期撤廃によって予言されていた、習近平による独裁制の完成。
これまでの日記でも集団指導体制とされる中国政治体制を「共産党独裁」や「一党独裁」とエクスキューズして書いてきたものの、もうそれが必要なくなっちゃったねえ。一度首相を挟んでから復活したプーチンよりも思い切りがいい。
本邦でもヒトラーアベのせいで毎年のように民主主義が死ぬと言われていましたけども、まさか中国の政治体制の方が先にこうもあっさり死ぬとは思わなかったなあ。いや、現代に日本にヒトラーが出てくるという時点で見る目ないと言うと身も蓋もないんですけど。
ここで評価が難しいのは、特に上記任期撤廃の2018年以前までは中国の集団指導体制というのは、割と真面目に自由民主義体制のライバルである、と見られてきた点でしょう。改革開放路線を進み、実際にそれでアメリカに追いつけ追い越せな規模にまで経済力を成長させた中国モデルというのは確かに存在感があったわけで。
そうした中国モデルと評価されてきたそれがあっさりと捨てられてしまった。
我々はそれを朗報と呼ぶべきか、あるいは悲報と呼ぶべきか。


単純に考えればこれまで成功してきた中国モデルを捨てたことは、少なくともリベラルな民主主義信奉者としてはライバルがいなくなったと喜ぶべきニュースではあるかもしれない構図ではあるものの、しかし割とこっちはこっちで強力なライバルが登場するかもしれない。
テクノロジーの発達は、特にビッグデータの活用によってかつてベンサムが唱えたパノプティコンの完成形に近い所まで近づいているわけで。
その意味で、今度は別の意味で、中国の監視独裁体制は世界中の独裁者たちの『希望の星』と見られていくのではないかなぁとは思っています。これまでもディストピアな中国監視社会を割と日記ネタにしてきましたけども、まぁ個人的にはそれってこういう文脈なんですよね。テクノロジーの力を借りることで、SFのようにその政治体制を本当に実現できてしまうかもしれない、という怖いもの見たさな予感として。
新たな中国モデルのそれが成功するか失敗するかは浅学な僕にはまったく解りませんけど。



少なくとも集団指導体制が続く限りは例え退任しても一定以上の尊敬と名誉(いやまぁ今回の件で割とこれも終わりそうですけど)が保障されているにも関わらず、彼はこうしてこれまで続いてきた中国モデルを終わらせることにした。
――つまり、習近平が任期撤廃をし中国モデルを捨ててでも自身がやりたい大事業とはそもそも一体何なのか? という根本的な問題をいよいよ目の当たりにすることになる。
この辺は、プーチンさんの大望(私たち側から見れば妄執)と同じで、私たちの合理性からはきっと理解できないモノになるんだろうなぁ、といううっすらとした予感はありますけど。
もしかして:クリミア


異例と言うだけでは足りない、三期目という新たな時代にいよいよ突入した習近平の中国について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?