閃光のナイトレイド感想を一言でまとめると「がっかり反核運動」

ということで閃光のナイトレイドが終わってしまいましたので感想。コンセプトはよかった探し。あと以下ネタバレ要素あります。

がんばれアニメノチカラ

とりあえず葉加瀬太郎はよかったですよね。あのテレテレッテッテッテー以外にどこで仕事したのかはわかりませんけど。テレテレッテッテッテーいいですよね。あとヒロインはよくできてたと思います。超能力設定はなんというか預言ありきですよね、その意味でそれ以外の超能力に必然性があるのかというと困る。あと女子増加要員か。えーと他に、あの満州設定は、うん、まぁ、13話でやる事自体が無理ありましたよね。個人的にあの時代に一番面白いのは日本の暴走を巡って右往左往する欧米列強だと思っているんですけど。あんまり触れられなくて寂しい。テレテレッテッテッテー。
ソラノヲト』がアメイジンググレイスのトンデモ要素でラストの惨劇を回避したのと、『閃光のナイトレイド』が超能力のトンデモ要素でラストの惨劇を回避したのはそういうアニメノチカラ通例のお約束要素かなんかなんでしょうか。アニメだしね!

ノーベル平和賞さえ取れるような理論なんてない

適当にまとめると、舞台は1931年頃そこで未来視によって日本への原爆投下の脅威を見たある青年が一発逆転で先にぶっぱなして均衡状態を作る「核による平和」を実現しようとするのを、そんな最初の一発を主人公一派が阻止しようとするお話です。ジパングか!
まぁそういう流れでラストは「遠くへ飛んで二度とこの世界にあらわれるなー!」って言って原爆を超能力・念動力で宇宙まですっとばしエンドなわけです。カミーユ・ビダンか!「ここからいなくなれー!」ラストのあれ。明らかにオマージュだと思います。


さて置き、まぁそれって結局の所現在の世界の構図とまったく一緒な、そんな「がっかり反核運動」なんですよね。
そんな(一部の人の言う)悪魔的な核抑止力と相互確証破壊に対して、核兵器反対の立場を取る人々が現実的に何ができるかというと、何もない。できるのはまさに「ここからいなくなれー」と叫ぶ事以外にないわけだ。で、実際その通りに反核運動はこれまでほぼまったくと言っていいほど、効果をあげていない。


閃光のナイトレイド』の中で描かれた原爆を巡る構図は、ほとんどそのまま私たちの構図であり、この作中では、その解決策を超能力で宇宙に捨ててしまうという事に見出している。まぁ確かにこれはフィクションでありおとぎ話である。けどもし、現実に反核運動をするような人々にもそんな力があったら、おそらくまったく同じ行為をするんだろうと思います。宇宙に捨てて世界は平和になったと。しかしアニメと違って現実にはもちろんそんな事にはならない。
つまり逆説的にこの作品が証明しているのは、そんな超能力を持たない反核運動の悲劇である。超能力的なギミックがなければ、現実的に核削減に対してまったくの無力であり、そして同様に反・反核運動の人たちを説得も出来ない。
そりゃ主人公も論理ではなく超能力に頼っちゃいますよね。だってそれ以外に解決方法がないんだから。
しかしまぁそんなシナリオに安易だとか短絡的とか言うのはちょっと要求が高すぎるかもしれない。アーサー・C・クラーク大先生だって『トリガー』作中では似たような問題においてトンデモ設定持ち出してきているわけだし。


そういえば最初に満州事変時代設定と聞いた時はもっとぐだぐだ国際政治アニメが始まると期待してたのに、なぜか原爆とか出てきて肩すかし感がとんでもなかったぜ、という印象でした。