世界は善意でまわってる

なんかまた盛り上がってる「戦後補償やろうぜ!」なお話を見て思ったこと。


よく海の犬っぽい人とかなんか保護したい人達や差別と戦う人達や貧困と戦う人達や過去の贖罪について殊更に叫ぶ人達、こういう人達が国益を損ねてるとか国を売ってるとか背信してるとかなんかもう色々ひどい事言われたりするんですけど、実際は真逆だと思うんですよね。
そうした人達は心の底から善意からやっている。
私たちはいつだって良い事をするのが大好きなんです。そうしたことほど、人々を引きつけ、酔わせるものはないから。


だから彼らは彼ら自身でさえもよく批判するような、真の意味での(間違っている意味での)マキャベリストでもある。
彼らはほんとうに「目的の為に手段を選んでいない」から。善意という目的はその手段を全て許されると確信している。だってそれは「善い事」をやっているんだから。多少の被害は多めに見るべきではないか、あるいは多少のルールの無視もやむを得ない、と。


まぁそれを言ってしまえば、例えば原爆投下だったり第三帝国だったりアジア植民地解放だったり某スターリンさんや某毛さんや某ポルさんの大粛清だったりも、究極的には彼らの理想の社会を作ろうとした善意からやっていたのだ、と言われればまぁ確かにそうかもしれない。あの時の彼らも目的の為には手段は正当化されると思っていたんでしょうね。で、あの様なわけですけど。
地獄への道は善意で舗装されている」とか「悪魔は天使の顔をしてやってくる」とか。
昔の人は良い事言ってますよね。つまり私たちはいつだってそんな善意だとか善意っぽい何かに騙されてきた。しかしもちろん善意そのものが悪いわけでは絶対にない。実際そんな引用句が教えているのは、表向きの大義名分の下で一体何が行われているか、が重要であると。
そしてまぁ善意の目的の下に隠された手段が、悪魔的な意図であろうが、実は本気で何も考えていないだけだろうが、結局そこに大して違いはありませんよね。彼らはどちらも、目的の為には手段はどうでもいいと思っているのだから。


それでもまだ善意が好きな私たち。人間って善い生き物ですよね!