だってそれは合法だから

報道の自由言論の自由はどこまで許されますか、なお話。


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内容的にはありていに言えば、「心無いあるいは恣意的な報道をされて怒る人々」とそして「まぁぶっちゃけそれってキモいよね」という人々の緩やかに対立する構図。
あれです、どっかで見た絵だと思ったら『ザ・コーブ』の構図とそっくりという事に気付いた。自分の世界に生きる少数な人々と、それを外からキモイと反発する人々。


面白おかしくイルカ漁を描くことと面白おかしくラブプラスのそれを描くことは、多分あんまり違いはない。勿論与える影響の大きさに違いはあるけれど。
イルカ漁をする人々の真実を描いてない!と批判する事とラブプラスの紳士たちの真実を描いていない!と批判する事も、多分あんまり違いはない。そして悲しいことに意味もない。
おそらくどっかで誰かも言っているように「あらゆる作品や表現は作り手の嗜好や主観や思想が必ず(多いか少ないかの問題はあるにしても)含まれている」わけで。その意味で、あれもこれもつまりプロパガンダでしかない、という事は確かに言える。その指摘に意味があるかはともかく。


結局の所、そんな行為に対して私たちが何を言った所で今後もこうした行為は大小様々に続けられていくんでしょう。報道やジャーナリズムやドキュメンタリーの名の下に。そしてむしろ私たちはそれを賛美する傾向にさえあるし。だってそれは少なくとも現在は合法でもあり、基本的には違法性などないんだから。
いつか何かと引き換えに違法行為として禁止されるまで、そうした悲劇がなくなることはない、と。